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石原純宛寺田寅彦書簡(全集未収録)について

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石原純宛寺田寅彦書簡(全集未収録)について

第5号の川島禎子先生の連載コラム「窮理の種」(四)では、「ヨーロッパの記憶」と題して、石原純と寺田寅彦の交流を解説していただきました。

中でも、寅彦全集未収録の石原宛寅彦書簡については、雑誌『テクネ』のNo.33,35で千葉俊二先生が詳しい論考を発表されている旨も案内していただきました。

この書簡で取り上げられているのは、“プランクとマッハの論争”と“実在と認識”が主要テーマで、石原と異なり、寅彦は桑木彧雄と同様プランクに批判的であったわけですが、その背景をもう少し理解してもらえるよう、千葉先生の論考(「科学と文学のあいだ―寺田寅彦、石原純宛全集未収録書簡をめぐって」)も一部紹介しながら補足しておきたいと思います。

この未収録書簡は大正6年1月27日付のもので、分量は400字原稿用紙で6枚強の長さにもなり、後の随筆「物理学と感覚」の下書きともなっているようです。

プランクに批判的と言っても、書簡中の寅彦の言葉をそのまま借りれば、「プランクは安心して居り過ぎはしないかといふ疑念が起つて時々迷ふ」「小生はどうもプランクの余り安心した態度に心から同情する事が出来にくい」といった表現で記されており、一方で「無論プランクの考は何処迄も尊重しますし其の様な考で進む結果が良好な事も信じますが、又一方で変つた考も可能であると思いますし、又功利的にもいつかは効果を生み出す公算があると思います」と、ある部分ではプランクに理解を示した意見も挙げています。

しかし、寅彦がマッハの方に同情を寄せている背景理由として、書簡中にある

物理学といふものが段々発展しておしまいには生物界の現象に迄切り込んで行く事はないでしようか。終局には物理学生理学或は心理学迄も段々融合して渾然たる一つの理学といふ大体系に包蔵される様な事は不可能でしようか。

という文が挙げられ、更に、これより少し前の大正4年に発表された「方則について」の文中に見られる、寅彦のいくつかの所見がマッハの世界観ととても親和的で、こうした一連の考えが大正6年11月に発表された「物理学と感覚」に深化され結晶している、と千葉先生は鋭く考察されています。

この他にも、大正10年1月に出された「文学の中の科学的要素」との関連についても、千葉先生の論が展開されており、興味深い内容が多く盛り込まれています。書簡の翻刻も含めて、詳しい全文は雑誌『テクネ』のNo.33,35をご覧ください。
(※ご購入の際は、e-mail:urako3n●yahoo.co.jp(●部分は@)を通されるのが良いとのことです。詳細はこちらのサイトを。)

なお、石原純関連資料は、神奈川県逗子市にある理科ハウスにも所蔵されています。館長の森裕美子氏はお孫さんにあたる方です。

 

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