科学随想の歴史を伝承し、文理の壁を取り払う

「窮理」備忘録

  • HOME »
  • 「窮理」備忘録

この頁では、本誌『窮理』で掲載された記事の補足や著者による追加サポートなどを、備忘録的に案内していきます。

井元信之先生の連載「音楽談話室」の専用ページはこちらへ。

index

随筆遺産発掘(一) の背景

細谷暁夫先生のブログと我孫子サイエンスカフェ

お詫びと訂正(第1号)

音楽談話室(二)の続編

戸田盛和先生と寅彦と子規と漱石と

“目に見えぬ”宇宙線と宇宙人、春の月夜に寅彦と猫

湯川秀樹と三十一文字の世界

甲鳥書林という出版社

お詫びと訂正(第4号)

江漢、蟠桃、梅園。 江戸期にみる日本の近代

平田森三の転機と伯楽寅彦

寺田物理学の系譜

“一人の無名作家”中谷治宇二郎とその兄 宇吉郎

お詫びと訂正(第5号)

寺田寅彦の「金米糖」(KONPEITOO)

愛知敬一の『電子の自叙伝』

石原純と愛知敬一の不思議な「運命」

アインシュタインと石原純のスイスの思い出

石原純宛寺田寅彦書簡(全集未収録)について

森鴎外の「かのように」と渡辺慧の「醜いアヒルの仔の定理」

寅彦の「Boin no Bunseki(母音の分析)」と露伴の「音幻論」

田丸節郎と石原純、愛知敬一、寺田寅彦たちの交流

藤原渦動論と寺田物理学

彼岸前の糸瓜忌に思う、子規と漱石と寅彦と虚子

「お月見と台風」と「日本人の自然観」

生命と科学と宗教の問題―寅彦・咲平・宇吉郎に見られるもの

水野敏之丞の『電子論』と他の著作

ポアンカレの翻訳をめぐる吉田洋一と寺田寅彦の「偶然」

非線形科学が指し示す新しい科学のパラダイムとは

寺田寅彦の知られざるドイツ留学時代―高辻亮一との出会いと交流

数学と文学、文学の中の科学―文学者と脳科学者の目に映る近代文学史

寅彦の「太陽の黒点と地球の天気」

大河内正敏と寺田寅彦の“味のある”交情

中谷治宇二郎の出版物語―岡茂雄から学ぶ出版業の在り方

寺田寅彦からロゲルギスト、そして現代へ続く寺田物理学の継承

戸塚洋二先生のヒメシャラの木を訪ねて

松山基範と寺田寅彦

熊楠と漱石と寅彦の「蓑田先生」(前編:蓑田先生と寅彦)

熊楠と漱石と寅彦の「蓑田先生」(後編:熊楠と蓑田先生、そして漱石)

物理と文学と科学史の合奏――窮理サロン協奏曲第1番

清美庵と蝸牛庵の釣三昧

窮理学から物理学へ――日本で最初の物理学書

湯浅年子補遺(其の一:ポール・ヴァレリー)

湯浅年子補遺(其の二:ルイ・ド・ブロイ)

実在への問いかけ――量子力学をめぐる哲学的対話と哲人たち

鈴木三重吉『赤い鳥』が生んだ、寺田寅彦「茶碗の湯」に見る、漱石と子規の遺伝子

哲学することの始まり――梅園と露伴へ通じる論理学

小生は純なるpublisher――夢と憂いと満足と

花を捨てて根を移す、ケーベル先生の「Festina lente」

日本人の科学性――長岡半太郎の休学から考える長編論考

郷土の考古学者 丸山瓦全

寅彦と露伴の「雨の音」

ローマ字と音韻論――寅彦句作や湯川国語論など

渡邊慧宛寅彦書簡に見る学問の楽しさ

寅彦から藪柑子へ――盛年不重來

江戸中期に重なる日英学者の記録書を読む

宇田道隆の俳諧修業―寅日子レトリック指南

「藤の実」射出観察記録

物理学者と詩歌の世界

あなたは短歌派? それとも俳句派?

延焼動態図から見る関東大震災――同時多発火災と文化人たちの記録

科学と文学における「虚」と「実」――複雑系科学と物語論

寺田寅彦とアインシュタイン――『物理学序説』への展開と道程

朝永振一郎からの宿題――「光子の裁判」から「ファウスト」「鳥獣戯画」へ

思考と文体――科学随筆から考える文章論

学者と表現――プランクにみる例

バリアフリーから見えてくる「立場と感覚の相転移」

思想化する喜び、創作の歓喜――科学随筆と科学研究

寺田寅彦と歩く「惑星の小径」――ゲッティンゲンの記憶と過去

科学随筆の方法――論理とレトリック

中枢と抹消――渡辺慧の認識論と『言語の本質』そして『東京都同情塔』

 

 

PAGETOP
Copyright © 窮理舎 All Rights Reserved.