科学随想の歴史を伝承し、文理の壁を取り払う

ポアンカレの翻訳をめぐる吉田洋一と寺田寅彦の「偶然」

  • HOME »
  • ポアンカレの翻訳をめぐる吉田洋一と寺田寅彦の「偶然」

ポアンカレの翻訳をめぐる吉田洋一と寺田寅彦の「偶然」

第8号の随筆遺産発掘では、数学者の吉田洋一の随筆「アカシヤの記憶」を取り上げました。細川光洋先生の解説前半で挙げられた、寅彦が抄訳したというポアンカレの『科学と方法』について、今回はいくつか吉田洋一の訳と比較しながら紹介したいと思います。

吉田洋一が翻訳したポアンカレの『科学と方法』(Science et méthode, 1908)のうち、寅彦が抄訳しているのは、第1篇第1章「事実の選択」(Le choix des faits)と第1篇第4章「偶然」(Le hasard)の2つになります。寅彦は、これらの抄訳を「東洋学芸雑誌」に投稿しており、それぞれ1915年の2月(「事実の選択」)、7月(「偶然」)、8月(「偶然(承前)」)の順で掲載されました。原論文の冒頭頁を下にアップしておきます。

事実の選択:冒頭(寺田寅彦) 偶然:冒頭(寺田寅彦)

寅彦は、「事実の選択」の章はリンデマンの独訳から重訳し、「偶然」の章はホールステッドの英訳とリンデマンの独訳を参照してそれぞれ訳文を起こしていますが、吉田洋一も『科学と方法』全体を翻訳するにあたり、リンデマンの独訳とホールステッドとマイトランドの英訳を座右に置いています。

本項でも参考までに、ポアンカレの原文とマイトランドの英訳も載せながら、二人の訳文比較をしたいと思います。

手始めに、『科学と方法』の最初の章を飾る「事実の選択」の冒頭文を、ポアンカレ原文とマイトランドの英訳、吉田洋一訳、寅彦訳の順で下記します。

Tolstoï explique quelque part pourquoi ≪la Science pour la Science≫ est à ses yeux une conception absurde. Nous ne pouvons connaître tous les faits, puisque leur nombre est pratiquement infini. Il faut choisir ; dès lors, pouvons-nous régler ce choix sur le simple caprice de notre curiosité ; ne vaut-il pas mieux nous laisser guider par l’utilité, par nos besoins pratiques et surtout moraux ; n’avons-nous pas mieux à faire que de compter le nombre des coccinelles qui existent sur notre planète ?  (Henri Poincaré)

TOLSTOI explains somewhere in his writings why, in his opinion, “Science for Science’s sake” is an absurd conception. We cannot know all the facts, since they are practically infinite in number. We must make a selection ; and that being so, can this selection be governed by the mere caprice of our curiosity? Is it not better to be guided by utility, by our practical, and more especially our moral, necessities? Have we not some better occupation than counting the number of lady-birds in existence on this planet?  (Francis Maitland)

トルストイから見れば、「科学のための科学」とは不合理な概念であるという。どの著書にであったか、その理由を説明している。「一切の事実を知りつくすことは吾々のよくするところではない。実際には無限ともいうべきほどその数が多いからである。したがってその間、選択をしなければならないのであるが、この選択に際して、吾々はただ好奇心のおもむくままにまかせて差支えないであろうか。むしろ実益を、いいかえれば吾々の実際的要求を、わけても吾々の道徳的要求を、標準とする方がまさりはしないであろうか。この地球上に何びきテントウムシがいるか、かようなことを計算するよりもさらに価値ある仕事がないであろうか。」というのである。(吉田洋一訳)

トルストイは何處かで、「科学の為の科学」といふ者は馬鹿気た者であると思ふと言明して居る。ありとあらゆる事實の數は無限であるから、此れを悉く知らうといふ事は不可能である。そこで撰擇と云ふ事が必要になる。彼れは思ふに、此場合に臨んで唯吾人の知識慾の気紛れな指圖に従つて撰ぶできであらうか。それよりは効果の有益である事によつて、即ち實用的殊に吾人の道徳的要求に據つて決する方が適當ではあるまいか。地球上に居るだけの葉蝨の數を勘定したりするよりは、もう少し好い仕事はないであらうか。寺田寅彦訳)

続いて「偶然」の章の比較ですが、細川先生の解説中で引用紹介された、夏目漱石『明暗』中の「ポアンカレ―の説」の元となった原文と訳文を挙げておきます。

Le plus grand hasard est la naissance d’un grand homme. Ce n’est que par hasard que se sont rencontrées deux cellules génitales, de sexe différent, qui contenaient précisément, chacune de son côté, les éléments mystérieux dont la réaction mutuelle devait produire le génie. On tombera d’accord que ces éléments doivent être rares et que leur rencontre est encore plus rare. Qu’il aurait fallu peu de chose pour dévier de sa route le spermatozoïde qui les portait ; il aurait suffi de le dévier d’un dixième de millimètre et Napoléon ne naissait pas et les destinées d’un continent étaient changées. Nul exemple ne peut mieux faire comprendre les véritables caractères du hasard. (Henri Poincaré)

The greatest chance is the birth of a great man. It is only by chance that the meeting occurs of two genial cells of different sex that contain precisely, each on its side, the mysterious elements whose mutual reaction is destined to produce genius. It will be readily admitted that these elements must be rare, and that their meeting is still rarer. How little it would have taken to make the spermatozoid which carried them deviate from its course. It would have been enough to deflect it a hundredth part of a inch, and Napolen would not have been born and the destinies of a continent would have been changed. No example can give a better comprehension of the true character of chance.  (Francis Maitland)

最大の偶然は、すなわち偉人の誕生である。互いに反応して天才を生む運命をもつ神秘な要素を共に共に裡に蔵する男女両性の生殖細胞が互に出会したのは、まったく偶然によるにほかならない。かかる要素が稀であり、その出会するのはさらにまた稀であるに相違ないことは、何人も一致するところであろう。この要素をもつ精蟲をその通った道から外れさせるには、実に何という些末な原因で済むことであろう。十分の一粍も道を外れれば、それでナポレオンは生まれず、一大陸の運命は変っていたことになる。偶然の真の性質を了解せしめるもの、これに過ぎた例はない。吉田洋一訳)

偉人の生れるといふ事は偶然の大なるものである。異性の原始的細胞が相合する際に、其の両方がそれぞれに、相合した時に大天才を作り出す様な不可思議な要素を丁度具備し居るといふ事は全く偶然な事である。この様な要素の稀有な事は勿論、此れが二つ出逢ふ事の更に稀有な事は誰れも認めるであらう。此要素を具へた精子の径路が極僅に一方に偏するしかないかといふ事は實に些細な相違である。此れが僅に一粍の十分の一だけ一方に偏したらナポレオンは生れなかつたろう、又一大陸の運命は全く別物となつたであらう。偶然といふ者の眞の特徴を説明する實例として此れに勝るものはあるまい。寺田寅彦訳)

以上の各訳文を比較すると、やはり吉田洋一の訳が現代の私たちにとっては読みやすくなっているように感じます。

この寅彦の抄訳のうち「偶然」のほうの訳文は、亡くなった後に刊行された『物理学序説』(1947年、岩波書店)の附録に収められています。寅彦亡き後にこの草稿が発見された経緯を記した文が、この本の後書に中谷宇吉郎によって書き添えられていますので、一部を紹介しておきます。

この原稿は、岩波書店で昔『科学叢書』というものが計画された時に、そのうちの一冊として書き始められたものである。全集編輯者の調べられたところによると、大正九年(一九二〇)十一月十二日に稿を起こし、予定の三分の一余りのところで中止されて、未完結のまま残されていたものである。先生にこういう意図があったことは、初めは誰も知らなかったようである。

(中略)

この『序説』には少なくとも二つの附録が伴う予定であったことが本文によって知られるのであって、その一つは『自然現象の予報』であり、その二はポアンカレ―の『偶然』を訳されたものである。そのうち『予報』の方は、本文の中にその内容が相当詳しく再出されているので、あるいは完成の際にははぶかれたものかもしれないが『偶然』の方は、附録として必要なものである。

(昭和21年8月)

この指摘のとおり、寅彦は本文の第二篇第八章で「偶然」というタイトルの章を設けており、附録に入れたポアンカレの「偶然」の訳文を、その補足として重要な位置づけにしていることが分かります。その証拠に、寅彦はこの「偶然」の章で「偶然とは何を意味するかに就いては附録に加へて置いたポアンカレーの諸説の外に附加すべき事は少ない。」と明記しています。

さらに寅彦は、以前この備忘録でも取り上げた「宇宙線」という随筆(「蒸発皿 4.」、昭和8年6月「中央公論」)の中でも、

ある一つのスペルマトゾーンの運動径路がきわめてわずか右するか左するかでナポレオンが生まれるか生まれぬかが決定し、従って欧州の歴史が決定したと言った人があるが、・・・・

と、ポアンカレとは敢えて言わずに「偶然」の翻訳を活かした展開をしています。

宇吉郎は寅彦の『物理学序説』を、「真に学問を愛し、科学の本質を知りたいと願う人々に、一度熟読をすすめたい本である。と後書の冒頭で強調していますが、ポアンカレの「偶然」をはじめとする思想もまた、寅彦哲学の真髄をなす一部として価値高い存在であることは間違いなく、そのことは吉田洋一にも受け継がれ、現代の私たちにも通じているものだと思います。

 

備忘録indexへ

  • Facebook
  • Hatena
  • twitter
  • Google+
kyuuri-guide
kyuuri-sale
kyuuri-contact
  • twitter
PAGETOP
Copyright © 窮理舎 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.