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田丸節郎と石原純、愛知敬一、寺田寅彦たちの交流

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田丸節郎と石原純、愛知敬一、寺田寅彦たちの交流

第7号では藤原美子先生に、ご祖父の田丸節郎氏から伝わる、楽譜に関する叙情味のあるエッセイを提供していただきました。

田丸節郎氏は、第5号の随筆遺産発掘で取り上げた石原純との交流が知られており、この項でいくつかそうした一面を紹介できればと思います。

「窮理」備忘録中の引用などでも取りあげた石原純の随筆集『夾竹桃』には、「アルプスの想ひ出」という二人の留学時代の話も描かれた随筆があります。当時の二人の様子も窺えますので、一部を引用紹介したいと思います。

實は私はその前年の春にドイツに赴き、ミュンヘンとベルリンとで夏と冬をすごしてから、スイスのチュリッヒで研究をつゞけてゐたのであつたが、その夏に田丸節郎君に誘われてこのアルプスの山のなかに遊んだのであつた。スイスといふ國はどこへ行つても山や湖水にめぐまれて、美しい景色に富んでゐるので、私はチューリッヒに来てから幾たびかルツェルンの傍らのフィーア・ワルド・シュテッテル湖や、東北の國境にあるボーデン湖や、そのほかいろいろな場處に行つては見たが、アルプスのすばらしく高い山脈が眼前にそびえてゐるこの場處の趣きこそは、たしかに他に比べるものがないと云つてもよいのであつた。それはチューリッヒから南東の方へ湖水に沿うて通ずる鐵道の更に南に折れてゆく終点に當るのではあるが、そこにリンタールという閑村があるのであつた。この村で鐵道を降りて、それから山路に沿うて数里ほど奥へ入りこんだ處に一つの家があつて、そこが夏の間だけ人々を宿泊させると云ふので、田丸君は以前にそこへ一度赴いたことがあるので、この時は私を誘つて出かけたのである。家と云つても、赤瓦を屋根にした木造の粗末な建物であつたが、それが併し山裾の傾斜のある草原のなかにぽつりと立つてゐる姿は、いかにもなつかしいものであつた。
この家に私たちはそれから一月餘り滞在したのであつた。

この『夾竹桃』には、当時田丸節郎氏が撮影したリンタールの写真も収められています。上の引用文にあるとおり、石原純は節郎氏との1カ月間のリンタール滞在後、チューリッヒに戻っています。この文からもわかりますが、節郎氏は石原純の良き話し相手であり、石原の日記には節郎氏がよく登場しています。

例えば、石原がドイツ留学のため日本を発ちベルリンに到着後、ほとんどの日を節郎氏と過ごし、散歩や美術館・博物館・宮殿の庭園巡りなどもしており、体調の悪い石原に医者を紹介したり、一緒に部屋探しまでしている友情には何とも親近感がわいてきます。

節郎氏は石原の1つ年長で、分野も化学を専攻しており、卒業後は大学院に進み化学科の講師となり、その後ドイツに留学、カイザーウィルヘルム物理化学および電気化学研究所で所員も務めました。第一次世界大戦後、米国へ渡り、当時創設されたばかりの理化学研究所に主任研究員として帰国しました(西尾成子著『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝 石原純』参照)。第7号の藤原先生のエッセイに登場した楽譜とピアノが、この石原純とも多く交流したドイツ時代のものだったことを考えると、時の隔たりと人の繋がりに感慨深い思いがします。

ここまで、石原純と節郎氏との交流を紹介しましたが、次は寅彦日記からの交流を紹介します。

寅彦日記の明治35年12月30日(火)に、

午後一時十一分大仁發三嶋にて愛知敬一君に会ひ談しながら國府津迄来りたるに田丸君も乗り込む。愛知田丸田中館三名は修善寺迄同行したるも。同地にて。愛知君は湯の嶋へ。他の両君は箱根へ赴きたる由。又田丸君は芦の湯の途にて舘君を見失ひたるとの事。三人にて話興に入り六時半新橋着迄。時の移るを覚へざりし新橋にて二君に別れ靑陽軒にて夕飯。

とあります。第7号に登場した人物がほぼ勢揃いの内容ですが、節郎氏と愛知敬一氏、そして寅彦の間で交わされた、時が移るのを忘れるほどの歓談には興味を覚えます。

同じく、寅彦日記の明治38年8月23日(水)には「出校の途次。田丸先生の宅へより節郎氏にピアノの鍵を借りて行く。」とあったり、明治39年1月4日(木)「昼より田丸先生を訪ふ。まだ鎌倉より帰らず。節郎氏福田君等と音楽。かるたなどす。」や同年3月10日(土)「夜田丸先生方にて合奏 Opern Album, Hydn, Mozart等」などを読むと、節郎氏と寅彦の間には、田丸卓郎先生を介しての音楽を通じた交流もあったことがわかります。

科学者と音楽の交わりについては、小誌で連載中の「音楽談話室」で後々紹介していただく機会もあるかと思いますので、乞うご期待を。

以上、第7号の藤原美子先生のエッセイへと繋がる、人物交流を辿った歴史探索でした。ここには更に、数学者の藤原正彦先生から繋がる藤原咲平と寺田寅彦との物語も重なりますが、それはまた別の機会にしたいと思います。

 

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