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あなたは短歌派? それとも俳句派?

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あなたは短歌派? それとも俳句派?

先日、K先生から電話があり、ひょんな事から「物理屋には歌詠みは多いが俳句詠みは少ない」という話になりました。確かに、思いつく人を挙げてみても、石原純・湯川秀樹・湯浅年子・高林武彦、…等々と圧倒的に短歌派が多く、俳句派は少ない印象です。話はそこから広がって、俳句派が増えたら何かが変わるのではないか…と結論じみた方向に収束しました。

そこで俳句派の代表格でもある寺田寅彦の作品などを通して、短歌派と俳句派ではどのような点が違うのか調べてみると、晩年の頃に両者の違いについて考察を進めています。その代表的なものが没年の昭和10年10月に書かれた「俳句の精神」(『俳句作法講座』第2巻、改造社)です。寅彦先生は生理学的な観点から両者の違いを捉えていました。

歌人と俳人とではあるいは先天的に体質、従ってそれによって支配される精神的素質がちがっているのではないかという想像さえ起こし得られる。近ごろ流行の言葉を使えば、体内各種のホルモンの分泌のバランスいかんが俳人と歌人とを決定するのではないかという気もする。これはしかるべき生理学者の研究題目になりうるのではないかと思われる。

(「俳句の精神」)

寅彦先生は、没年の頃は特に生理現象についての関心が強くなっており、関連随筆だけでも以下のように挙げられます。

詩と官能昭和10年2月『渋柿』
自由画稿同年1~5月『中央公論』
五月の唯物観同年5月『大阪朝日新聞』
映画と生理同年8月『セルパン』

そして、上に挙げた「俳句の精神」での生理学に関する話は、同じく没年の7月4日に『文学』誌上で行われた座談会「日本文学における和歌俳句の不滅性」がベースになっていることが分かります。この座談会は、幸田露伴・斎藤茂吉・安倍能成・茅野蕭々・野上豊一郎・和辻哲郎という錚々たる出席者ですが、内容をみましても、遺言的作品である「日本人の自然観」の起爆剤でもあったことがわかり興味深いです(この座談会は中公文庫『和辻哲郎座談』にも収載)。

上の「俳句の精神」の元になったと思われる、この座談での生理学に関する談論部分を挙げてみましょう。

寅彦:歌をやる人と俳句をやる人と、何か生理的な大きな区別はありませんかな。
茂吉:めんどうな問題ですね。
寅彦:体質的に歌人なら歌人、俳人なら俳人というふうに区別をたてて、それはあなたのほうで調べてごらんになったらおわかりになると思う。
茂吉:非常にむずかしいが、大切な問題だ、まあ博士論文ものですね。
寅彦:例の内分泌に関係したことじゃないですか。だがそういうふうになると俳句と和歌と両方やることはできないわけですよね。
豊一郎:正岡子規は例外でしょう。
寅彦:僕は正岡子規という人は俳人というより歌人だと思うね。
能成:それはそうかもしれませんね。子規は虚子とは違いますね。
寅彦:虚子は、僕はあれは俳人だと思っている。からだを診察して、君は俳人だ、君は歌人だとわかる医者さんがいるかな。笑
露伴:明治のころ、新体詩のはやった時、新体詩を作るやつは皆ありゃ神経衰弱にかかっているのだって、井上通泰という人が言っていたが、言った当人が医者だからかなわない。笑っちゃったね。
能成:あの人は目医者でしたね。目で見るんですね。
寅彦:目尻の角度から見るんですね。笑

といった具合で、『物理学序説』の著者らしい意見を垣間見ます。この観点から、体質が専門分野とどう関わるかという問題を考えるのも面白そうです。物理学者の意外なふるい分けができ、専攻選択の際の新たな指標になり得るかもしれません。

一方で寅彦先生は、短歌派と俳句派の違いについて

歌は宗教のようであり、俳句は哲学のようであるといったような気もする。

(「俳諧瑣談」、昭和9年3月『俳句研究』)

とも書いており、これは「珈琲哲学序説」でいう所の“酒と珈琲の関係”にも似ています。“陶酔するのか観察するのか”といった違いでもあるかもしれません。寅日子句に「客観のコーヒー主観の新酒哉」という俳句もあるほどです。

では、歌詠みであった湯川秀樹先生はどう考えていたでしょう。このことについては以前の備忘録で取り上げたことがありますので詳しくはそちらを読んでいただきたいのですが()、上の寅日子句が要を得た代弁となっています。

観性と主観性という言葉で申しますならば、できるだけ自分の主観性というものを生かせる。あるいは知性とか理性というものに対して、人間の感性、感覚、情緒というものを表に出せる、それを生かせるような、そういう活動の場もほしいわけです。

(「和歌について」)

これと同様のことを、寅彦先生は先の「俳句の精神」の中で以下のように述べています。

短歌もやはり日本人の短詩である以上その中には俳句におけるごとき自然と人間の有機的結合から生じた象徴的な諷詠の要素を多分に含んだものもはなはだ多いのであるが、しかし俳句と比較すると、和歌のほうにはどうしても象徴的であるよりもより多く直接法な主観的情緒の表現が鮮明に濃厚に露出しているものが多いことは否定し難い事実である。そうした短歌の中の主観の主はすなわち作者自身であって、作者はその作の中にその全人格を没入した観があるのが普通である。しかし俳句が短歌とちがうと思われる点は、上にも述べたように花鳥風月と合体した作者自身をもう一段高い地位に立った第二の自分が客観し認識しているようなところがある。「山路来て何やらゆかしすみれ草」でも、すみれと人とが互いにゆかしがっているのを傍からもう一人の自分が静かにながめているような趣が自分には感ぜられる。

ここまで見てきて読者の皆様はいかがでしょうか。好みもあると思いますが、上に述べられたような分析を通して、自分が短歌派か俳句派か考えてみるのも一興かと思います。もちろん研究者の方であれば、専門分野との関係もほの見えてくるかもしれません。

冒頭のK先生との話に戻れば、こと物理学者に関しては、俳句派(連句も含めるなら俳諧派)の研究者が増えることで、日本の物理学の進展に何らかの影響が現れるのではないかと話した次第です。ちなみにK先生は短歌派だそうです。細谷暁夫先生のお話では、短歌派は王朝文化派で、俳句派は町人文化派という見方もできる、とのご指摘で、それも面白い観点です。K先生とのお話では、実験系のほうがどちらかというと俳句派になり得る要素を持ち合わせているのではないか、という意見も出ましたが、実際のところ如何ほどでしょう。

さて、短歌と俳句の話を続けてきましたので、これに関連して“詩形と音”について、上記の座談会で興味深いやりとりがあるので参考に引いておきます。「俳諧の本質的概論」や「俳諧瑣談」七節に見られる話もうかがえます。

寅彦:話は違うが、外国の詩への日本の俳句の取り入れられ方は同じ自然を歌ってもまるで頭が違う。それでもシラブルの数だけはちゃんと十七シラブルにやっているのがある。俳句の感じとは全く違うね。
茂吉:人間臭いんですかね。
寅彦:非常に人間臭い。非常に熱心に俳句を作った、ヴォカンスという人が欧州大戦の塹壕生活を俳句にした。俳諧と称しているのだが、どうもどこが俳諧だか私にはわからない。
哲郎:俳諧と称するのは詩形だけの問題ですね。
寅彦:十七シラブルだから俳諧の詩調です。
豊一郎:フランスでやってるのは十七字ですか。
寅彦:十七シラブルのがあります。フランス人でこんな事を言っているのがある。詩というものは文字数が少なくなればなるほど形式を厳格にしなければならぬ。俳句というものが形式を厳重にしているのは非常に短いからだというのです。それから、ちょっとうまいと思ったのは、だれだったか覚えておりませんが、俳句というものは読者を共同作者とする詩歌芸術だ、そうでなければ芸術が成り立たない、それを読む読者が共同作者になって初めて芸術となりうる、というような事を言っていた。
哲郎:その点は連句については当たっていますね。
寅彦:ところが連句というものを全然知らない。
哲郎:発句だけのことならなんとも言いかねますね。
能成:日本文学の特徴の一つは確かに連句に現れているな。

そして、この前段となる話の中でも、シラブルと音の調べについて述べている箇所があるので、そこも紹介しておきます。これについては、「俳句の精神」の中に書かれている「「古池に蛙が飛び込んで水音がした」がなぜ散文で、「古池や蛙飛び込む水の音」がなぜ詩であるか。それは無定形と定形との相違である。しからば前者の五、九、七、を一つの異なる定型としてはなぜいけないか。この疑問に答えるには日本における五七調の成立と、その必然性とを考えなければならない。」というくだりがポイントになります。

寅彦:僕は七五調というものはあれは本来四拍子の節奏から発達した形式ではないかと思います。日本人のムードというものかね。あの糸を紡ぐ糸車の車の響くのが四拍子だ。西洋の糸車はちがう。シューベルトの糸紡ぎ歌というのがあるだろう。あれは三拍子です。西洋の糸車は陽気なんですね。日本の糸車は非常に沈痛な感じがする。
露伴:四拍子でないというのは日本にほとんどないだろう。南無妙法蓮華経が例外だが、わが国は四拍子でおしなべているようです。
寅彦:それから和歌を詠む時ですね、初め五字読みますとちょっと休みましょう、ほんの気持ちですが……。
露伴:朗詠のしかたですか。
寅彦:いやわれわれが短歌を読む時、多くの場合五字読んでちょっと間を置く気持ちがありませんか。
茂吉:ありますね。
露伴:いや一般にあるとは言えない。今の人は一般にあると思っていますし、事実そうですが、それをはなはだよろしくないと思っている人もあります。
茂吉:私は短歌声調論では五七五七と五音なり七音なりを単位として論じたものですが。
豊一郎:日本の歌の形式は五七が単位でしょう。
露伴:しかし中世から七五が加わって来ている。
寅彦:「権兵衛が種まきゃ烏(からす)がほじくる」、あれは四四四四だ。これは七五調とどういう関係があるか知らないが、何か関係があるだろうと思う。それを考えているんだがね。
露伴:始まりは五七が多かった、それがいつごろからか七五になってしまった。そして今は七五の調子のほうが多い。それは五とやって七五とやるから五七五が上の句なぞということになってしまった。五、七、五、七七と、五七、五七七とですね。確かにそこはたいへんな違いです。つまり歴史的にいつとなく変化しちまったが、この間の変化がどこから出て来たかということを研究すれば、日本の和歌の歴史をほんとうに読めることになると思う。外来文化のためにそうなって来たように思っている。

すぐに分かった方もいるかと思いますが、この話のくだりは「俳句の精神」以外に、同年8月の『文学』に書かれた「糸車」にも影響が窺えます。

文学者の中村真一郎氏が若かりし頃にした研究によると、詩の形式と音楽との関係性について、世界の代表的な詩形の比較には面白い特徴がみられると言います(中村真一郎『江戸漢詩』より)。

まず、フランス詩の定形は通常12音(アレクサンドラン、alexandrin)ないし8音の偶数脚であることに対し、漢詩では七言の効果が音の上でも意味の量でも匹敵すると言います。不思議なのはフランス詩と漢詩では偶数と奇数の心理的反応が逆になっている点です。例として、ボードレールの『悪の華』の大部分が12音で書かれていることを挙げています。

では日本はどうかと言うと、定型詩として音としても意味としても、フランス詩と漢詩に等価となり得る数は17音、つまり五七五の俳句の形式であるという結果になったそうです。それ以上の音数になると脚韻が響かなくなるとのことで、17音が前後の行末と韻を交響させ得る限度であったということでした。

最後に以上の総括として、上で挙げた「糸車」や「日本人の自然観」にも影響が見られる話をこの座談会から紹介します。日本人の生理的条件を決める環境と未来についての議論です。

寅彦:自然の環境に養われた生理的条件というものは思想なんかのそんな吹けば飛ぶようなものじゃない。これは日本の底に深く根をはやしているものだから、これはそう変わり得ない。
豊一郎:交通が便利になったり、ラジオができたり、飛行機ができたりすると、環境が変わる。
寅彦:それでこそ俳句や和歌というものの題材がいつまでも続くんですね。
哲郎:自然が変わらないでも文化が変わることはあるので、たとえばシナなんかそうですが。
寅彦:生物などでも突然新種ができることがある。そういうものでもその環境に適するものと適しないものとある。今の形式以外の今まで気のつかなかった形式が生まれて、それが今の環境に非常に適していれば栄えるかもしれません。しかし新しい生物ができて今まで適していたものと同様に栄えて行くということはあっても、今まで千年以上も続いて来たものが今突然急に滅亡するということは僕には言えないと思うね。
蕭々:突然滅亡しないでも、長い間たてば滅亡するかもしれませんね。
能成:十万年は大丈夫じゃないのですか。(笑声)
蕭々:今までは割合に変化しなかった。しかし今日のようにスピードが早くどんどん変化して行くと、今まで短歌が生存したようなぐあいに生存するかどうかということは少し疑わしいと言うと変だが、いくらか不安を感ずるね。僕の言うのはああいう形式が生理とかなんとかそういう原因で決まっているわけなら、変わらないとも考えられるが、ただ環境だけの問題だとするとね。
寅彦:思想とかなんとか、あるいは機械的なものでできた形式であるならば、変わるかもしれないね、しかし毎日われわれが無意識に食っていたにんじんや椎茸なんかが、研究してみると中にビタミンがあるということがわかったように、まだ研究が不充分であるからそういう日本の必然的なものをわれわれが発見しないというだけで、あることは確かに千年も前からあるのではないかと思う。もしそういうことであったならばどういうものでしょうな。
(中略)
蕭々:……ただ日本の短歌あるいは俳句が三十一文字とか十七文字という形を続けているというのはさっきの寺田さんのお話でもう尽きているんです。なぜいったい続いているか、それは続かせるものが日本のどこかにある、理由ははっきりわからないけれども、どこかに存在しているに相違ない。それで永久に滅びないだろうというのでしょう。ただそこで環境が変わって来た。自然も変わって来るし、コンクリートの建物が建ったり、アスファルトの道路ができると、どうも昔のような短歌や俳句がぴったり来なくなる。俳句のようなものでも、和辻さんはドイツでやられたそうだけれども、昔の日本のものになってしまう。なんとなくそぐわない。今の生活にはいってしまえないということが起こって来やしないか。私どもの思うには、これは別な話ですが、いわゆる新体詩というものは起こって来ても、なんだかこのごろまた影が薄くなったように考える。そういうところで何か寺田先生のようなかたに暗示をいただいて、ああいうものがうまく行かないということについて、そういう理由がどこにあるかということを考えてみたい。
寅彦:つまりわれわれの知らない理由があるんじゃないですかね。これは斎藤さんを前に置いてこんなことを言っては失礼ですが、ホルモンとかビタミンの研究をすると、昔から理由なしににんにくやにんじんをからだによいと言って食べておったことが、今ごろになってやっと少しその理由がわかって来る。白いギラギラする粉薬をこしらえて飲む時代の次には、また草根木皮の時代が来たんじゃないかという気がしているんですよ。
茂吉:いや、非常に……。また新しい薬は草根木皮からなかなか取っております。

日本の糸車を“俳諧”と称した、寅彦先生らしい生理的感覚が伝わってきます。亡くなる数ヵ月前に書かれた「日本人の自然観」は“日本人への遺言”であり、寺田寅彦の真髄といえますが、その片鱗をうかがわせる談話です。

寅彦先生が言ったように、ホルモンバランスで短歌向きか俳諧向きかを診断できる日が来たら面白いでしょうけれど、診断結果と気持ちのギャップに悩むような社会現象が生じるかもしれません(当世流行のAI診断ならあり得るでしょうか…笑)。さしずめ、短歌派の科学者が多い一方で、俳諧趣味の物理屋がメジャーとなる時代の到来も期待しつつ、この稿を終えたいと思います。

 

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