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“目に見えぬ”宇宙線と宇宙人、春の月夜に寅彦と猫

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“目に見えぬ”宇宙線と宇宙人、春の月夜に寅彦と猫

第3号で吉田直紀先生に書き下ろして頂いたエッセイ「宇宙人は攻めてくるのか」を読まれて、読者の皆さんはどんな宇宙人を想像されたでしょうか。私は、具体的な形をしたシンボリックな宇宙人というよりも、サンテグジュペリの『星の王子さま』(Le Petit prince)に出てくる王子さまのような存在を思い描きます。

『星の王子さま』が愛読書だからということもありますが、別の星からやってきた少年(王子さま)が、地球上の大人の世界の不条理な社会規範に疑問を投げかけ、哲学的で詩情に満ちたシンプルな言葉で、大人たちが忘れてしまった人生の大事なものに気づかせてくれるというこの物語は、どの世代にも通じる、ロマンと哲学と純粋な夢にあふれています。王子さまと登場人物たちとの出会いがそれぞれに象徴的であり感動的ですが、とくに名文とされる「人は心でしかよく見えない。大事なものは目には見えないんだ」(”On ne voit bien qu’avec le cœur; l’essentiel est invisible pour les yeux.”)というキツネの言葉は、物語の中でひときわ光を放ちます。魅力的すぎる宇宙人かもしれませんが、私にはバイブルのような存在です。

そしてもう一つ、”大事なものは目に見えない”という観点で、”宇宙から地球にやってくる存在”として思い浮かぶのが”宇宙線”です。寅彦の随筆にその名もずばり「宇宙線」という題の素晴らしい作品がありますが、この中で寅彦は宇宙線の存在を

宇宙のいずこの果からとも知れず、肉眼にも顕微鏡にも見えない微粒子のようなものが飛んで来て、それが地球上のあらゆるものを射撃し貫通しているのに、われわれ愚なる人間は近頃までそういうものの存在を夢にも知らないでいたのである。

と紹介した上で、話はナポレオンの誕生を左右する運命論に及び、

・・・ある人間のある瞬間に宇宙線が脳のどの部分をどう通過するかによって、その人の一生の運命が決定することもありはしないか。

そして更に、

長閑(のどか)な春日の縁側に猫が二匹並んで坐っている。庭の樹々の梢には小鳥の影がちらちらする。二匹の猫があちらこちらに首を曲げたり耳を動かしたりするのが、まるで申合せたようにほとんど同時に同一の挙動をする。これは二つの猫の位置のわずかな差のために生ずる些細な音や光の刺激の差でも説明されるかもしれないが、しかしまた猫の「自由意志」にも支配されると考えられよう。その自由意志が秋毫(しゅうごう)も宇宙線に影響されないとは保証出来ないような気がする。

と、自由意志にまで話は発展し、最後に

科学はやはり不思議を殺すものでなくて、不思議を生み出すものである。

と結んで終わります。これは、第3号の吉田先生の随筆の最後にある、

現在の宇宙の95.1パーセントは正体不明という大きな謎も残る。人類の科学の進歩の素晴らしさと、人間の想像力のおよばない宇宙の神秘さの両方を表すかのようだ。謎の多い宇宙のどこかにいる(はずの)宇宙人もまた、私たちの想像をはるかに超えた存在なのだろう。

という文ともどこか通じているように思います。

上の作品もそうですが、寅彦の随筆には猫がよく登場します。第3号の永橋禎子先生の「三毛の幻」では、寅彦と猫の特別な繋がりを紹介していただきました。

人間の心で測り知られぬ別の世界から来ているもののような気のする事がある。

と、猫を見つめる寅彦の眼差しの中に、宇宙のような大きな世界と、身近で小さな世界を、隔てなく見通してその中に分け入ることができる、寅彦ならではのレンズがあるように感じます。

好きなもの 苺 珈琲 花 美人 懐手して宇宙見物

昭和9年に詠まれたこの短歌にも、そうした寅彦の世界観が表れていると思います。

話が広がりすぎてしまいましたが、これも私の脳を射撃貫通する宇宙線の仕業なのでしょうか(笑)。最後に書籍紹介をして終わります。

永橋先生が年譜を担当し、細川光洋先生が編集に携わられた『寺田寅彦セレクションⅠ・Ⅱ』(講談社文芸文庫)は、寅彦が生前上梓してきた数々の著作本を軸に随筆が精選されており、とくにそれぞれの本の”序文”が収載されているという特色もあります。寅彦作品に触れる新たな機会として、ぜひ読んでみてください。

この紹介は宇宙線の影響でなく私の自由意志です(笑)。

 

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