戸塚洋二先生のヒメシャラの木を訪ねて
2018年7月10日は戸塚洋二先生の没後十年にあたるご命日。第10号では、この節目に戸塚先生が生前ブログに書かれた「自分の痕跡」を掲載し、巻頭では梶田隆章先生に追想の筆をとっていただきました。
戸塚先生の「自分の痕跡」については細川光洋先生の解説を読んでいただくことにして、本項ではこのエッセイの主役でもある、戸塚先生が神岡に植えられたヒメシャラの木を実際に見にいった探訪録を書いておきたいと思います。
細川先生の解説では、ヒメシャラ(姫沙羅)は別名ナツツバキ(夏椿)の一種で、「梅雨時から7月初めにかけて、樹上に白い可憐な花を咲かせる」とあります。戸塚先生の命日の頃がまさにヒメシャラの開花時期であることを知って、どうしても戸塚先生のヒメシャラの木が花を咲かせているのをこの目で見てみたいと思うようになりました。
戸塚先生がヒメシャラを植えられたのは2000年頃。もう15年以上も過ぎている今、ヒメシャラは花を咲かせているのだろうか。戸塚先生が「孫を見たような気がしました」と感激して書かれていたヒメシャラの木には、どんな白い花が咲いているのだろうか。
掲載誌の第10号は校了を迎え、印刷製本工程に入っていく中、そんな思いが徐々に膨らんできて、矢も楯もたまらず、東大宇宙線研広報室に許可をもらい、6月末に神岡まで行かせていただくことになりました。
梅雨時のため訪問日はあいにくの雨。元来が雨男であるため仕方がないと諦めてはいたものの、北陸新幹線で富山駅に着いたときには土砂降りの様相でした。駅でレンタカーを借りて出掛ける際には、「雨がひどいと通行止めになる場合も。ここからは遠いのでお気をつけて…」と言われ、運にも見放されてしまったかと、車を出発させる前から落胆しているような状況でもありました。
しかし、神岡までの国道41号線を走っていくうちに雨は徐々に小降りに。七曲がり八曲がりした道を越え、いくつものトンネルを抜け、最寄りの猪谷駅周辺に着いた頃には雨はやんでいるという奇跡が起きていました。
それにしても国道とはいえ、人ひとり通らない道で、進行途中で猿にも遭遇するような山深い奥飛騨の大自然には圧倒されました。
雨後の霧に包まれた山々を見ていると、あたかも自分が水墨画の一部にでもなったような気分になります。戸塚先生が生前、神岡の自然と触れあい、山歩きを愛されていた気持ちが伝わってくるようでした。
こうして通行止めに遭うこともなく、無事に東大宇宙線研神岡施設のある東茂住に到着しました。広報の方からヒメシャラのある宿舎まで案内され、いよいよ戸塚先生のヒメシャラの木との対面です。
神岡サテライトからさほど遠くない場所にある宿舎の裏側に、ヒメシャラの木はひっそりとたたずんでいました。
「孫を見たような気がしました」と書かれた戸塚先生の言葉をそのままお借りするなら、「戸塚先生を見たような気がしました」と表現したくなるほど、ヒメシャラの木を見たときの最初の感動は胸にあふれるものでした。
雨上がりの霧がかった空気に包まれていたせいもあるのか、昂揚した気分も手伝い、戸塚先生のヒメシャラは幻想的な雰囲気をまとっているようでした。
花は咲いているだろうか……。
すぐにヒメシャラの木の梢に目を移し、よく凝らして見てみると、雨に濡れた一輪の可憐な白い花が小さく咲いているのをみつけました。
その嬉しさといったら名状できない瞬間でした。
そして更に樹上に目を見やると、よく見なければ分からないほどの小さな花が、梢の所々に咲き溢れているのがわかりました。(上のヒメシャラの木の写真をクリックすると拡大できるようになりますので、上方を見てみてください。)
視線を一転して樹下に変えると、地面にはたくさんの白い花が散り落ちています。よく見ると蜂の巣も落ちていました。細川先生が解説で引用されている、植物学者の大場秀章氏の文章にあるとおりの光景です。
……花びらは白色で、ツバキのように全部がまとまって散るが、花は梢の高みに咲くために、森や林の中からはみつけにくい。……地際の草の上に散った花びらでもみつけない限り、花が咲いていることさえも気づかずにやり過ごしてしまいそうである。だが、花には樹冠を越えて飛びまわる昆虫や小鳥が蜜や花粉を集めにやってくる。
戸塚先生を慕うかのようにヒメシャラの木に蜂たちもやって来る――上の大場氏の文章を思い出しながら、何だか胸がざわめくような気持ちでした。
戸塚先生の痕跡は今もしっかりと残っている。――
そうして、最初の感動から次の感動へ興奮が波打つのを覚えながら、ヒメシャラを介した戸塚先生との短い面会を果たしたような、そんな気分になっていました。
ヒメシャラの花言葉は「愛らしさ」「謙譲」、そして「哀愁」。細川先生の解説のとおり、どことなく戸塚先生に重なる部分も感じさせます。
私は、「哀愁」という言葉の響きから、戸塚先生とヒメシャラの木の関係が、サン=テグジュペリの『星の王子さま』と似ているような印象をもちます。
もともと『星の王子さま』は哲学的教訓に満ちた作品ですが、仏教の禅の思想にも近いものがあります。ニュートリノ・サムライを自称した戸塚先生には、この禅的な雰囲気に包まれたイメージも私は感じます。
「ぼくにとって、きみは、世界中でたった一人しかいない人間になるし、
きみにとっては、ぼくが、世界中でたった一つしかいないヒメシャラになる。」「もう一度、ヒメシャラの木を見にいってごらんよ。
きみのヒメシャラが、世界中でたった一つしかないことがわかるからね。」「そうなったら素敵だろうなあ。ヒメシャラの白い花をみたら、ぼくはきみのことを思い出すよ。そして、風に揺れるヒメシャラの葉擦れの音に聞きほれるだろうな。」
何だかこんな文章に言葉を置き換えても、ストーリーが成り立ってしまうのではないか…。飛行士と星の王子さまとの出会いは短い間の物語ですが、一日花のヒメシャラの白い花にもそんな刹那の余韻があります。
ニュートリノが現れるのも一瞬です。そんな「儚さ」(éphémère)をたたえた哀愁が、日本的な情緒――戸塚先生の武道精神――とも交響し合っている。ヒメシャラを間近に見て、そんなことも感じました。
こうして、短い時間でしたが何枚かの写真撮影を終え、広報の方に御礼の挨拶をして帰路につきました。別れ際に広報の方から、つい一時間ほど前までは猛烈な土砂降りだったのが急に小降りになったことを改めて告げられ、本当にありがたい時間をいただけたのだと、このヒメシャラとの一期の時に感謝をしました。
東茂住を離れる際、神岡サテライトの近くに、一軒の小さな酒屋だったと思われる古い家を見つけました。梶田先生の巻頭言に「夜は皆で酒を飲みながら語り合うような雰囲気でした。」と書かれている酒は、ひょっとしたらこの酒屋さんでも買われていたのかなと思いながら、神岡を後にしました。
せっかく来たので、茂住周辺の自然も見ようと車をその先まで走らせましたが、狭い道沿いを流れる高原川は、大雨ですでに溢れそうなほどの勢いで濁流をみなぎらせているのをみて、富山駅へと進路を戻しました。
駅に着いた時には、出発のときとは一転して、灼熱の太陽が照りつける猛暑となっていました。
戸塚先生のヒメシャラの木への探訪は、こうして不思議なたまゆらの一日とともに終わったのでした。