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ローマ字と音韻論――寅彦句作や湯川国語論など

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ローマ字と音韻論――寅彦句作や湯川国語論など

第14号と第17号の「随筆遺産発掘」コーナーでは、それぞれ田丸卓郎と田中館愛橘のローマ字文を元に起こした邦字文を紹介しました。当時、羅馬字会によって進められていた「ヘボン式ローマ字」は英語の発音(chi「ち」、ji「じ」)を基準にしたものでしたが、両先生は日本語の五十音(ti「ち」、di「ぢ」など)を基にした「日本式ローマ字」を提唱し、日本のローマ字社を立ち上げました。その影響もあって、寺田寅彦も数多くのローマ字随筆を残しており、「窮理」備忘録でもいくつか紹介しています。

今回は、このローマ字と日本語の音韻の関係について、寅彦先生のローマ字文なども例に挙げながら考えてみたいと思います。

私たちは、ローマ字で文章を読むこと自体、日常生活から考えてみても慣れておりませんが、パソコンやスマホでは、文字をローマ字方式で打たれている方は多いのではないかと思います。田中館・田丸両先生が推進した理由は、19文字(訓令式)であらゆる文章を書き表せるという点が一番だったでしょう。かりに漢字を覚えていなくても、外国人でも内容がわかりやすいという利点もあります。また、第17号での細川光洋先生の解説にあるように、メートル法など新しい度量衡が導入されつつあった当時の世界情勢を背景に、「万人が共有できる基準となるもの」を作りたかったことも、両先生の心中には当然あったと思います。

加えて、和歌を詠まれていた愛橘先生は、このローマ字運動に合わせてローマ字短歌も多く残しており、歌集にもなっています。自身の揮毫した書が残っていますが、故郷の二戸市ではローマ字習字のコンクールまであるのです! このようにローマ字で表現できるものは、一般の文書から随筆、教科書、歌など幅広いですが、寅彦先生はどうかというと、ローマ字随筆の他に、俳句の句作にローマ字による分析を試みていたことが分かっています。

このローマ字分析は面白いもので、日本語の音韻というものを考えさせられます。いかに日本語が音の響きを大切にしている言語であるかがよく分かるのです。以下に挙げるものは大正11年の手帳のもので、寅彦先生は芭蕉の俳句を例に分析していますが、これを見ても、ローマ字による音韻の分析は句作に有効と感じます。寅彦先生は、単語を所々で改行して、同じ音韻をもつ単語を上下に並べたりしながら、句の中にどれだけ共通する音の響きがあるか等を調べていたようです。さっそく見てみましょう。

(其の一)

子 規 な く や 黒 戸 の 濱 び さ し

     hototo   gi su  na ku ya
ku rodono   ha     ma bi sa  si

母音「o」と後半部の「a i」による共通する響きに着目。

(其の二)

海 は は れ て ひ え 降 の 寺 五 月 か な

Umi   wa   ha re       te
   hi    e     hu ri  no  te  ra
         Sa    tu ki       ka na

母音「i」「u」「a」や「h」「r」の共通する響きに着目。

(其の三)

五 月 雨 を あ つ め て 早 し 最 上 川

Sa         mi    darewo
  a  tu    me   te
ha  yasi  mo             gami
                               gawa

母音「a」と「ga」、および「mi」「me」「mo」と続く共通する響きに着目。

(其の四)

涼 し さ や ほ の 三 か 月 の 羽 黒 山

Su zu  si              saya
honomikadukino
haguro                yama

「saya」と「yama」、前半部の子音「s」と「z」、後半部の「h」などの共通する響きに着目。

(其の五)

さ ゞ れ 蠏 足 は ひ あ が る 清 水 哉

Sa  za  re   ga ni
                   a si
                  ha i
  a  ga  ru
                          si mi du
 ka  na

「a i」の母音を共通する韻として着目。

(其の六)

夕 顔 の 白 ク 夜 ル の 後 架 に 紙 燭 と り て

Yuu ga wo no           si ro ku
Yoru no ko  o kani    si so ku
                              si          te

最後の「si te」は「to ri te」の間違いと思われます。
「Y」および「si ro ku」「si so ku」の共通する響きに着目。

(其の七)

閑 さ や 岩 に し み 入 蝉 の 聲

Si du ka sa ya
  i wa  ni
Si mi    iru
Semi     no koe

子音Sからの始まりと、「mi」や「ni」の共通する響き。

(其の八)

な つ 来 て も た ゞ ひ と つ 葉 の 一 つ 哉

Natu     kitemo
Tada     hitotu    hano
            hitotu    kana

母音「i」および「hitotuhano」「hitotukana」の共通する響きに着目。

(その九)

ほ と ゝ ぎ す 消 行 方 や 島 一 ツ

hototo   gisu  kieyuku
                    kataya    sima
hitotu

最後の「hitotu」が、最初の「hototo」と共通する響きに着目。

以上になりますが、芭蕉の俳句をローマ字打ちしていると、まるでルクレチウスのラテン語の詩の響きを想起するようで不思議な気分になりました。最終的に寅彦先生は、これらの分析を漱石の俳句にまで広げ、それをまとめた書面一式を、小宮豊隆宛に同年の9月下旬に使いを出して持参させています。恐らく、手帳で分析していて気づいたことを豊隆先生に知らせたくて送ったのでしょう。その自筆書面が全集に載っていますので、芭蕉の部分を参考に挙げておきます。自筆書面のほうが大文字と小文字を使い分けていて、寅彦先生がどこに着目していたか、より分かりやすいと思います。

寅彦ローマ字俳句分析1寅彦ローマ字俳句分析2

このようにローマ字書きすることで、芭蕉の有名な俳句ひとつに対しても異なる見方ができ、その見えざる音の共通点などがわかってくるかと思います。これと関連して、寅彦先生は昭和2年9月12日(月)の小宮豊隆宛書簡で、万葉集に関する音韻についてコメントを書いています。

・・・万葉の歌はあれはどうしても歌ふべき歌だと思ふ。音韻のリズムが生命であるかと思はれる。古代の人がどんなメロディーで歌つたか知り度いが此れ計りは望がなさゝうである。

このような寅彦先生と似たような思いを吐露しているのが湯川秀樹先生で、これは湯川先生の国語問題に対する考えなので紹介しておきます。『旅人』という自伝を読まれた方はご存知かと思いますが、湯川先生は幼少の頃に漢文の素読をお祖父さんから訓練されており、それが本人の国語力に大きな影響を与えたと回顧されています。その背景もあって、湯川先生は、日本で漢文が日本語として読み下されていくプロセスがどのようなものであったかに興味をもっていたと言います。そして、日本語の発音について以下のように書かれています。

私は、かねがね国語問題については、これ以上日本語の発音の種類をへらし、音声的に貧弱な言葉にしてはいけないという意見をもっている。ある時代の発音を正確に記すことが、現代の日本語を反省する一つの材料となり得るのではないかとも思っている。昔の日本人は今よりも、もっと多くの音を使いわけていたのだということを聞いた。従来のローマ字論や、かなづかいの議論では、文字の単純化と一しょに、発音の種類もへってしまったりしないための考慮が十分なされていないように思う。

最後のローマ字論への指摘などは痛い所をついていますが、少なくともヘボン式より日本式が良いことは確かだと思います。湯川先生の話を続けましょう。

日本字を表音的にすることはもちろん必要であるが、発音自身の種類がへりすぎると、低級言語になるほかない。もともと字が無い日本に、文字が伝来した時、初めは発音に対応する漢字を見つけようとしたのであろう。しかしだんだんと発音そのものより漢字の形にたよるようになっていった。それに伴って日本人の発音に対する感覚がにぶっていったのではなかろうか。その意味で、昔どう発音していたかを知ることも、今後の日本語のあり方を考える上に、参考となるであろう。それから、個々の言葉や、文字や、発音だけでなく、今昔物語の文法には、いわゆる文語体の文法と、少しちがっているところがあるように思われる。これと関連して、日本語が文語と口語とにどうして分化していったのかにも、私は興味を持っている。

(以上、「古典と私」より)

後半の文語と口語の分化についての指摘は、改めて別テーマとして取り上げる必要があると思われますが、和歌を詠まれた湯川先生ならではの考えがよく表れています。一方で、寅彦先生と親しかった幸田露伴は、著書の『音幻論』の中で以下のように述べています。少々長いですが、重要なことなので段落ごと引用しておきます。

元来、言語といふものは二元のものである。すなはち発する人が一つ、聴く人が一つ、その聴いた人が復現する時に至って、また、発した人が復聴する時において言語は成立つのである。それであるから言語といふものはそのもの一つで、すなはち発音者のみをもつて論ずるのはむしろ滑稽なことであつて、聴く人聴かせる人が一圏をなして初めて成立つものである。ゆゑに、薩摩の人の詞(ことば)を出羽の人が聴いた時にはすでにいくらかの差異を生じ、出羽の人がその詞を発する時にまたいくらかの差異を生じ、さうして国土の差により空気の異(い)により発音者の練習度により種々に変化をして行くのである。そこで強て窮屈な議論を成立させても、時代・地方・感情等によつて一々変化して行くものである。さればと言つて、その変化に委せた日には、しまひに混乱に陥つてしまふから、窮屈な議論も立てなければならぬのであるが、在来の言語の論者が言つてゐるやうな正しい邦語といふものはすでに幾度か変貌してゐる事実の存在を免れない。平安朝末期から徳川氏初期までの間の邦語は、明かにいはゆる復古学者の所説とは違つた状態に置かれてゐた。そして今さへ種々の混乱が惹き起されてゐるのである。これを統一して正しきに還したいといふ考への人が懐く感情は固より正当であるが、またこれを自然の変化に委ねて一元万化の道理に添はせても是非が無いと思ふ人の考へも、人間の通情から言へばまた無理からぬことである。いづれにせよ、それらのことを思考する前に、音韵(いん)の自然の流行の径路を遍く正しく観察することが何よりの先務であらねばならぬ。

(「シとチ」より)

露伴先生が指摘している“音韵の自然の流行の径路を遍く正しく観察すること”はなかなか難しいことですが、音韻変化を捉える一つの有効な方法として、ローマ字書きが挙げられるのではないかと思います。少なくとも短歌や詩などの韻を重視する分野では効果的に感じます。実際に、寅彦先生は「土佐の四つ仮名」(di「ぢ」とzi「じ」、du「づ」とzu「ず」を使い分ける発音)をローマ字表記に活かしていました。

短歌や俳句をされる方は、ご自身の創作にぜひローマ字書きも活かしてみてはいかがでしょうか。

 

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