宇田道隆の俳諧修業―寅日子レトリック指南
第19号の「随筆遺産発掘」では、寅彦門下の一人 宇田道隆を取り上げましたが、本項では宇田道隆が寺田寅彦から受けた俳諧指導について、寅彦書簡から紹介したいと思います。
俳句をされている方、俳句に興味のある方には参考になるものが多いのではないかと思います。寅彦先生が、俳諧初心の道隆先生の句をどのように添削されるか、ぜひご覧ください。逆に言えば、寅日子流の俳句の作り方が垣間見えるかと思います。指導のやりとりが残っているのは、昭和3年から昭和8年にかけてになります。では、年代順に紹介していきます。
まず、昭和3年8月22日(水)の指導です。ここでは、一つの句の表現について、寅彦先生があらゆる可能性を挙げて教えています。
(前略)
俳諧結構と存じますが此れを研究して見ると色ゝと研究の余地があるやうです
「紅」はべにと読むのですか、あの色は一体べに色とは少し感じがちがいは致しませんか 寧ろ朱(アケ)ではありませんか。又「紅も」の「も」は勿論此句の一番はたらいたてにをはではありますが少し際どい感じがします、或は「凌宵(のうぜん)の朱こそゆらげ」としたらどうかと思つて見たがそれも余り感心しません 或は又「凌宵の朱にゆらぐや青嵐」の方がいゝかも知れない、これだと意味がずつと複雑になり含蓄が出来るかと思ひます、如何哉、其他
凌宵の朱にぞゆらぐ青嵐
………朱揺ぎけり………
青嵐凌宵の朱を揺がして
青嵐…………に揺ぎけり
凌宵や梢の朱に青嵐
凌宵や梢の朱に風渡る
凌宵や梢の朱を風渡る
凌宵の朱に乱るゝ嵐哉
凌宵の朱に緑に嵐哉
凌宵の朱に嵐や昼寐起
凌宵の朱や高きに風ありて
etc etc etc 御研究を乞ふ朱と青との対照は余り目立ち過ぎる故青嵐としないで其感じを出した方よからんか、忘評多罪 草〃
「俳句とはレトリックを煎じ詰めたもの」と師の漱石先生に教えられたように、考えられる可能な表現を組み合わせて示しているところに、寅彦先生の句作の片鱗が窺えます。てにをはの連結一つとって見ても、実に細かいものです。
続いて、昭和7年2月18日(木)の書簡から。これは一番長い指導になっていますが、それゆえに詳しい入門的指導が見られます。(下線は引用者)
拝啓
春風が落せる凧や蓮華畑
一応句にはなって居ますが、併し此れには色〃の議論があります。第一春風を擬人的に見る事に興味を感じたらしい動機が明りに見えすいて居るかと思はれる。春風が落したといふことは理屈では面白いかも知れないが「感覚」「情緒」の上からは、それ程面白いものではない。即ち「見立て」はあるが「詩」「ポエトリー」がありません。同じ題材を取るならば、寧ろ緑のカーペットに紅白の模様を染出した蓮華畑に凧が落ちて居る其の美しさを眼に浮ばせるやうに詠ずる方が「詩」であるかと思ひます。それで例へば「春風や凧落ちてある蓮華畑」とすれば擬人の厭味は脱しるが余り平凡となります。眼界が唯畑の中の一点に限定されるし、又景色が静的で働きがありません。次には又試に「春風や凧落ちかゝる蓮華畑」とします。すると「落ちかゝる」で、空間と、時間の経過が表現されるので、意味がずっと複雑になり、野全体の近景遠景が見え、又凧を揚げる人も想像され、従って、いくらか句がはたらいて参ります。併し此れではまだまだ尋常一様の句で独立の存在価値はありません。然らば如何にすべきか。此句を見るに季題が一句に三つもはいつて居る 「春風」「凧」「蓮華畑」がそれであります。一体季題一つでも十分に春を象徴して居り、此れに色〃の事象を配して句をなすべきものを三つも重ねては句を活かすべきものゝ入るべき余地はありません。平凡にならざるを得ない次第であります。凧が上つて居れば春風の吹いて居るのは当然であり、春の野に蓮華の咲いて居る処で凧の上がつて居るのも当り前であります。此れではいゝ句は出来る筈はありません それで三つの内一つを切捨てればいくらかはよくなりましやう 例へば「春風」を割愛します。さうして
―――凧落ちかゝる蓮華畑
の初五字に色〃のものを入れて見る。「沈む日や」「川越えて」「屋根越しに」「群雀」「鴉飛んで」etc etc……どれでも原句よりはいくらか色彩を加へますが、矢張り初心の句たるを免れません
又「凧落ちかゝる」を「凧の落ち来る」「凧舞ひ落ちる」「凧落とし来る」etc etc いろいろあります。次には又「蓮華畑」を取代へて色〃の植物や動物や人工物を配する事も出来ます。それでも此原句の狙つた春野の光景の「感じ」を描写する事は出来ます。さういふものを頭の中でレビューして行く中に、此れならとコンヴィンスするものに逢着するでありましやう。又一方凧の落ちる「落ち方」に注目して描写すれば、句のインテンシティが増します。例へば「音立てゝ落ち来る凧や蓮華畑」とか「音もなく落ちける凧や蓮華畑」とでもすれば、余計なものゝないだけに却つて感覚が強まりましやう。音もなく落ちける凧や蓮華畑
此れならば先づいくらか俳句と云つてもいゝ脱皮であります。蓮華畑の柔かくぼやぼやと美しい心持がいくらか言外に暗示されるからであります。まだまだ此れ以上いくらでも洗練の余地はありますが、先づ此処らで一休み致しましやう
毎度申す通り句の動機来因をそのまゝ云つたのでは「報告書」であります。其の来因に含まれた「詩」を「感じ」を響かせるやうな暗示を与へるのが俳句であります。云はんと慾するものを意識の水平以下に押込むのが肝要であります。やさしいやうで俳句の六かしいのは其処にあるかと思ひます。此れは習熟によつて自から理解さるべきでありましやう。
擬人法でも優れたのはいゝ事勿論でありますが、初心の人のは大抵失敗にきまつて居るやうであります。当分封じた方安全。切れ凧を追ふて憎しや春の風
の「憎しや」は意味不明、又此の場合も「春の風」は全くの蛇足
切れ凧は水に落ちけり芹の角
切れ凧の落ちて居にけり蕗の薹切れ凧を「追ふ」は矢張り余りありふれた成句で、どうも平凡になり勝のやうです
春風に首をすくめしがうな哉
此れも擬人法に厭味を感じます。「詩」を感ぜず、「見立て」の「理智的興味」を見せつける嫌があつて俳諧になりません。句の背後に「我」が見えます。「おのれ」の臭味があります。
春風は何処の空吹くがうな哉
とでもすればいくらかよいかと思ひます(注:がうな=寄居虫=やどかり)。
水落しがうなの逃げる椽日向 (落とし?)
「水落し」は何と読むか。意味も不明。もう少し普通の言葉を使つて印象明瞭をつとめられたいと思ひます。椽(えん)をがうなが逃げると云へば、水をはなれて居ることは明であるから、「水落ちて」でなく「水を滴下しつゝ」の意かと思ひます 。それならば
滴りや寄居虫(ごうな)の逃げし足の跡
とでもすべきか。
通例水落と書けば水落つと読み水気の切れることなり
水を落とすの意ならば水落としとでもかくか前にも申上げし通、初心の人は見たまゝのあらゆるものを皆読み込まうとする。此れは不可能でもある上に、効果を却つて弱めます。俳句は「記載」でなく「印象詩」であります。芭蕉が「云ひ畢(おお)せて何かある」と云つたのは此れであります。 「椽」も「日向」も割愛しても、味ふ人それぞれの連想で背景をつくります。面白味は滴をたらしながら逃げる寄居虫の「姿」にあり、其処に滑稽があると同時に「ものゝあはれ」がある。それを歌ふのが俳諧の「詩」であります。それで「滴り」をも序にすつぱり切りすてゝ、
おかしさや逃げし寄居虫の足の跡
としても句は下がりません。併し此れでは未だ暗示は深くない、それで又試に
わりなしや逃げし寄居虫の足の跡
とする。さうすると初五字の表面の意味がぼやけると同時に、潜在的暗示が深まります。さうして暗示はインテンスになります。ポツポツと殻を引きずつて行つたかすかな痕跡から、小さな生命への執着に対する人間の複雑な感じが引出される筈でありましやう、「ものゝあはれ」とは決して安価な感傷でなくて自然界に対する洞察から来る人生への反省を含んで居ると思はれます。
併し、かういふ風の主観を表面に出した句は、しばらく作らぬ事にした方がよいかと思ひます。寧ろ前記の滴りや逃げし寄居虫の足の跡
滴りを残して逃げし寄居虫哉と云つた風のを試みつゝ推敲される方が能率が宜敷かと存じます。
椽側にのの字かきたる寄居虫哉
でも殆ど目的を逹しると同時に寄居虫そのものゝ感を強めると思はれます。
とんだ悪口ばかりで失礼しました。しかし俳句でも修業なしには一人前にはなれません。
論文をかく時にも矢張同様の苦心は必要と思ひますので、駄弁も無用でないかと思つたのでありました
妄言多罪
季題は一つに、ただの報告書にせず「感じ」を響かす、云わんと欲するものを意識下に押し込む、俳句は記載でなく印象詩、主観を表面に出した句は控える、等々、耳に痛い言葉があちこちに見られ、俳句初心者には至言となるのではないでしょうか。
続いて、同年10月23日(日)のものです。
(前略)
貴作俳句につき愚見左に申上候
「柿」は原句にても宜敷と存候へ共火の国や柿の赤きに秋晴るゝ
とすれば内容が余程複雑になると存候。原句では東京で肥後の柿を面前におき、其日の東京の空が秋晴であるといふだけになるが、此の如く直せば柿を買つてから肥後の郷土で柿が赤く累々として居るその空が青く澄んだ有様を想像することになると存候
「松茸」の句、香の「ほのぼの」は少し変な気がします故里のかほりほのかや茸の飯
では如何
「梨」は 陸奥(みちのく)に翁も喰ひし此の梨か
「時懐」は「先考の詩稿を上梓するとて」として
蛼(こおろぎ)に更けし浄書の幾夜哉
では如何 原句ではあまりに報告的で余情がない。つまり材料が句の中にぎしづめになる為であります
「虫の音」の句は、虫と寺と月とがごたごたして中心点を欠く故、味が散漫になつてゐる。三つのうち二つの対立で弁証法的に構成しなければ句にならぬと思ひます。三つでも其一つが極〃軽い場合はいゝが此処では三つ同等故困ります
「秋刀魚(さんま)」の句、煙青うては厭味がある。秋刀魚焼けば青い煙りに暮早き
とでもすべきか
「ばらばら」の句、切字判然せぬ故弱しばらばらに浮ぶ機翼や秋の海 とするか、
「先考」の句は
夕顔や未だ寝ておはす茶の煙
では如何
「田丸先生」の句は佳(引用者注:原句は「星墜ちて袷にせまる夜寒哉」)。「せまる」は「迫る」
忘評多罪
材料が句の中にぎしづめ、三つのうち二つの対立で弁証法的に構成、等々これも勉強になる指摘が散見されます。
次に同年11月7日(月)の指導です。
御手紙拝見 愚見左に
団栗を吾子へ土産や紅葉狩
御仏も野菊も濡るゝ時雨哉
本来は野菊秋季、時雨冬季なれど此処では時雨が主故冬の句ならん
枦紅尚酒翁を待つか秋の山
胡頽子(ぐみ)を売る麓の店や秋も早
胡頽子は何か浅学未だ知らず
釜揚げはうどんの名なり冬隣(註) 土産ぞは月並口調あり。」 野仏は普通でない「みほとけ」の方感情を含みて時雨の余情あるべし。」「待てり」より「待つか」の方余韻あるべし。」 うどん啜るやでは余りに「はたらき」に乏し
忘評多罪
これも、添削句に。や・をつけて細かい指導がなされています。
年をまたいで、翌年昭和8年2月5日(日)にも示唆に富む手ほどきがあります。
(前略)
俳句につき愚見左に申上げます蛸を追ひ走る漁師や夏の浜
此れはちゃんと句にはなつて居ますが、事柄を其儘云つてしまつたやうで暗示に乏しいと思はれます。夏の浜も註釈のやうな気がして夏の浜の感じが出ない。それで例へば「夕立や蛸の逃げ出す砂の上」とでもすれば、景色が具体的になり、又漁師の追ひかけるのも影に暗示されるかと思ひます。或は「夕立や逃出す蛸の足早き」とすれば蛸の運動の方に重点が移動して行きます。又「夕立」よりも適当なものはないかと物色して見ると、例へば「嗚神や」なども蛸と取合せて、何となくグロテスクな味があるかもしれない。其他夏期の季題で「炎天や」「薫風や」「雲の峯」等いろいろ取合せて、又それぞれの味があると思ひます。
蛸の夢壺の底音に破れけり
此れは、意味を想像出来なくはないが少し不明であります。多分壺が引上げられる時に底が音を発するのでしやうが、さういふ趣向自身が余り凝り過ぎ又理屈を含み却つて厭味を生ずると思ひます。それから「蛸壺」だけでは季題にならぬかと思ふが如何や、何とか普通の季題を入れて再考ありたし。此句何か寓意がありさうで所謂「思はせぶり」の句なれど、此種のものは余程の老手でないと大抵失敗するにきまつて居ます。
霜踏んで見上ぐる枝や烏瓜
「踏んで」「見上ぐる」が蛇足の感あり、其為に句がたるみたり。殊に「見上ぐる」といふのが何となく月並風の匂あり、もう少しすつきりと行き度し。間に合せの改竄ではあるが「烏瓜は実のみになりぬ庭の霜」とでもすればいくらか生きるかと思ひます。
ぬくぬくと日向に梅や寝正月
ぬくぬくと梅に日向や寝正月 の方如何や
二三輪・・・・・・・・・・ では稍平凡
一輪の・・・・・・・・・・ ならば引きしまる「ぬくぬくと」といふ形容は梅の清冽な感じと取合はせるのに中〃骨が折れる。もし「ぬくぬくと」を活かし度ければ梅 の代りに何か見付けても いゝと思はれる。「ぬくぬくと椽の日向や寝正月」も一策
鯣(するめ)焼くいろりに粉雪や峠茶屋
事柄は面白けれど沢山の材料を無理に十七字に押込んだ痕跡蔽ひ難し。「やっとみんな入れた」といふ迄にては俳諧にならず。芭蕉が「言ひ畢せて何かある」と云ったのは此事と思はれます 「寂寞(じゃくまく)と消ゆる粉雪や焼錫」としても所要の「感じ」は出るかと思はれます。
要するに俳諧は叙事詞でもなく、叙情詩でもなく、インテンスな「感じ」で言葉では云ひ現はし難いものを強く暗示するものであると思はれますから、此の第一義を御忘れなきやうに願ひます、妄評多罪
暗示に乏しい、註釈のような気がして、等これも得心することが多い題材です。言葉では云い現わし難いものを強く暗示する、とは実に見事な教示ではないでしょうか。
この月は日を長く置かずして、2月19日(日)に更に指導が行われています。句の冒頭の〇×は寅彦先生の評価。
二月東豆沿岸久々の大漁也
〇網に湧くぶり三万や浜の春相州セノウミにて
満月を浴びて鰺釣帰るなり 〔原句 満月を浴びて鰺釣帰りけり〕舘山西ノ浜渚にて珍魚を得たり
〇振袖と名も艶かや春の魚 〔原句 振袖の艶なる魚や春の潮〕二月南豆蓮台寺にて雪に逢ふ
静けさや湯壺に消ゆる春の雪 〔原句 淡雪の空にて消ゆる湯の烟〕湯の村の雪に喜ぶ童哉 〔原句 湯の村に雪を喜ぶ童哉〕
海上
西風(にし)落ちて夕日の富士や冴え返る 〔原句 西風落ちて富士の裏より冴え返る〕残雪や庇を下る日に五尺 〔「下る」の二字を抹消〕
〇庭鶏に馬屋の屋根の雪崩哉 〔原句 庭鶏の飛び退き走る雪崩哉〕
二月廿八日長男出生を喜びて
桃の花こぼれし床や初の産月嶋より議事堂
うららかや甍の上の白き塔 〔原句 うららかや議事堂の塔白く浮き〕×弁慶の溜めし涙や春の川
原句と比較すると、これもなるほどと思うものが随所に見られます。
続いて、同年4月5日(水)です。上と同じく〇の付いた句は寅彦先生の評価です。
昭和八年三月相模湾観測中船内感冒流行し帰京す。
〇舷(ふなべり)を打つ波音や冴返る 〔原句 舷を打つ波音や春の風邪〕
(春の風邪は無理なり)越の八重桜の味ひに一句
花漬やほのぼの匂ふ越の春 〔原句 花漬や湯に春の香のほのぼのと〕〇青海苔の陽に暖かき潮干哉
芽柳や三日見ぬ間の塵の街 〔原句 芽柳に驚く朝や塵の街〕
〇潮干狩霞に暮れて帰るなり 〔原句 潮干狩霞に暮れて帰りけり〕
とする方何となくのんびりした心持が出ましやう香宗我部(繁尾)夫人を悼む(本年正月)
白梅のこぼれて土に春寒き 〔原句 白梅の一片散りて春寒き〕果敢さや雪に折れたる梅の枝 〔原句 果敢やな雪に折れける梅の枝〕
細かい表現の工夫など、これも初心者には参考になるものばかりです。
6月7日(水)の指導は番号が付いていて、全部で9句の添削です。
1 菜の花の一きわ明(アカ)し昼の雨 〔原句 菜の花の一きわ明るし春の雨〕
季題を重出するのは句を弱めるからなるべく避くる事。「菜の花やかゞやく空に烟る雨」とでもすれば少しははたらくかと思ふ2 簑笠も魚籠(びく)も烟るや春の雨 〔原句 簑笠も魚籠も朧ろに春の川〕
魚籠と笠で川は暗示されると思ふ3 原句でも宜しけれど何となく月並調あり。「一としきり喧嘩も過ぎて花吹雪」〔原句 喧嘩(いさか)ふた奴(やっこ)眠るや花吹雪〕
4 原句のまゝにて宜し 〔原句 簪の灯に眩しさよ春の宵〕
5 余りに平凡 〔原句 勇ましや若葉の空の五月鯉〕
6 「ありし{まゝに or 日の}門ひつそりと桐の花」 〔原句 絃絶えて門ひつそりと桐の花〕
7 「笹船や振りの袂に春の風」 〔原句 笹舟を流す舞妓や春の水〕
8 処〃躑躅(つつじ)も見ゆる茂り哉 〔原句 新若葉躑躅の赤き茂りかな〕
9 原句佳也 〔原句 薫風や湖(うみ)を渡りて大鳥居〕
どの言葉をあてがう事で別の言葉を暗示できるかなど、これも参考になるのではないでしょうか。しかし、季題の重複使用など初歩的注意もありますが、寅彦先生の直しもなく佳句として評価される句も少しずつ出てきています。
続いて同年9月11日(月)になりますが、書簡で知りうる範囲では、これが寅彦先生の生前最後の添削指導となっているようです。
下手の俳句 お笑ひ迄に
寅日子先生 九月十日 宇田道隆阿波にをる妻子の上を思ふて二句
肌寒や潮の鳴門の秋の声
〔原句 肌寒や妻も子も遠き国にあり〕親と子と二つへちまの月夜哉
〔原句 へちま実の二つぶらりと良き月夜〕木犀やほのかに闇の水道町
〔原句 木犀の匂ひほのかや星月夜〕鳴り止まぬ樫の梢の野分哉
〔原句 野分して樫の葉一夜なりやまず〕蓚竹の光りに風や星祭り
〔原句 遣水に蓚竹光るや星祭り〕
これも、どの言葉を削ってより暗示を引き出せるか等、寅日子先生の行き届いた添削が見られます。
最後に、書簡では年月日不明〔昭和七年以降〕とされているものを纏めて挙げておきます。最初に原句を示し、添削箇所に傍線を施して、その添削内容を→で右に示します。〇や◎の評点は寅彦先生のものです。
[第一葉]
昭和七年正月和尚との綽名の人に戯れて一句
梅が香や椽に和尚の高笑ひ → 何初鶏に目覚めて今年は事多き → やはや人の世の福の音
初鶏や蓬莱生れて三千年 → こゝに
〇春明けて又我庵をうつさばや → 立つ春の庵を東に移しけり
水仙の影映したり槐南詩 → や槐南逝いて二十年
奉捨乞ふ声入り乱る師走なり → 行く先で寄附はたられる/かな
◎柚湯の香外は七星凍る様 → 星凍る空に柚湯の匂哉
十二月廿八日冬雷をきゝて
〇鰤(ぶり)起し相模の海に振ひける麓ららかや傘乾し並べし春の庭 → ありたけの / 庭の春
柿のへたうつりて動けり日向椽 → 椽日向へたもありける柿の影
(うつりて動けり→影をぶらぶら)〔第二葉〕
蝉雨吟
地震(なゐ)知らぬ秋晴れの空の蜻蛉かな → ふるも知らでや空の赤蜻蛉/知らで晴れたる空の蜻蛉哉
秋風や牡蠣剝く人の今年又 → 越中嶋所見
後後(あとあと)と白露の中に咲く糸瓜 → 糸瓜咲くや朝な朝なの露の中
小春日や草食む犢(こうし)尾を振りて → 犢草食む
×追星の金魚藻かげに光りけり
夕靄に海苔粗朶(そだ)の舟うつすらと → 麁朶(そだ)船は靄にかくれて雁の声/夕靄に麁朶たつ舟のうつすらと
昭和五年秋
〔第三葉〕
昭和五年秋川の瀬を浴びる童どものの艶やかな → 尽顔に子供はみんな裸哉
花火絶えてやがて明るき盆の月 → やゝしばし花火は絶えて
映画間諜×27号をみて
雪寒き庭に唄姫斃れけり → 〔抹消の印のみ〕十数年ぶりに中学同級生一堂に会して
豊かなる秋や夕陽の葡萄畑 → 累〃と葡萄の房の豊なるちぬと栗とを故山より送り来れるを喜びて
蝕ばめる栗もうれしや秋の苞(つと) → き便り哉
以上で、寅日子先生による俳諧指導は終わりますが、材料をぎしづめにせず、言葉を最適に選びとりつつ、いかに暗示していくか、参考になる添削が多かったかと思います。
第19号でご寄稿いただいた『渋柿』代表を務める渡邊孤鷲氏からも、入門者の句作についての注意点として、寅彦先生と同様の言葉がありました。「初心の人は見たまゝのあらゆるものを皆読み込まうとする。」また、詠嘆の切れ字「や」「かな」「けり」などが重複して使われる事も指摘されておりました。
同号の「随筆遺産発掘」の細川光洋先生の解説には、寅彦先生を芭蕉に喩えるならば道隆先生は去来となろうか、といった指摘がありました。師から懇切丁寧な添削指導を受けた宇田道隆の存在は、まさに寅彦精神を継承するにふさわしいものであると理解できます。本項がその証となれば幸いです。