アインシュタインと石原純のスイスの思い出
第5号の随筆遺産発掘で紹介した石原純の「春と埃り」の解説の中で、細川光洋先生が抜粋引用されている「チューリッヒに於けるアインシュタイン教授」という随筆には、アインシュタインと石原氏の情趣に富んだ交流が、まるで映画のシーンのように純粋な美しさで描かれています。
とくに、アインシュタインの様子を精妙な視線でとらえている石原氏の描写が印象的ですので、引用紹介しておきます。(表示できない一部の旧漢字などは新字体に改めました。以下同)
・・・私は教授の親切な言葉にこの最初の訪問のときから既に感激させられたのでした。ふさふさとしてゐるその頭髪や、豊麗な瞳や、ふつくらとした顔だちや、ゆたかな潤ひをもつた聲などが、その時から強く私の脳裡に印象されました。そしてさういふ温和な姿のなかに、どこか藝術的に深みのある素質のあることなど、一層のなつかしみを私に感じさせるのでした。
その後、私は教授の暇の折を予め打ち合はせておいて、この部屋を訪づれては、學術上の問題をいろいろと尋ねることにしたのでしたが、いつも親切に、まるで隔てのない心もちでこれについて話される教授に對して、感激しないわけにはゆかなかつたのです。このやうな際には、彼はいかめしい大家でも教授でもなく、只親切な話し對手と云ふ感じで、お互ひに問題を論じあふと云ふ態度を示されるので、心から氣らくに話し合はれるので、それがどんなにあり難かつたかわからないのでした。そこの大きな机のうへにはいつも雑然としてたくさんの書籍や雑誌が置かれてあつたのも、私の眼につよく印象づけられてゐるのです。
(『夾竹桃』文明社より)
“石原の人生における最も輝かしい時”と細川先生の解説文にあるとおり、チューリッヒでのアインシュタインとの濃密な時間は、石原氏の人生において特別な“時空”であり、まさに塵ひとつない晴れ晴れとした心を満たすものだったに違いありません。生き生きとした筆致で綴られたこの随筆には、ある種健康的ともいえるリズムと、清澄な息づかいが感じられます。
この頃の思い出を描いた作品には、「チューリッヒの春」や「孤村の方へ」といった短歌形式にまとめられたものや、「アルプスの想ひ出」という随筆もあります。いずれも、スイスの美しい自然の中で息をはずませ、喜びに満ちた石原氏の心の在りようが伝わってきます。それを象徴するような歌を挙げておきます。
すつきりと雪にけだかき山嶺(みね)の間ゆ、
つゝましきこゝろ青空を見る
随筆「春と埃り」の中で表現した“青空”には、かつて見たスイスの空を重ねていたのでしょう。
最後に、もうひとつアインシュタインを評した石原氏の文を紹介します。
・・・スイスと云ふ國には、ともかくいろいろな國々の人々が集まつてゐるだけに、自由な空氣に充ちて居り、外國人といふ差別をもつて待遇されないと云ふことがいかにも氣もちがよく、またどこへ行ってもよい景色に接することができるといふことなども、一層になつかしさを感じさせるのでした。そしてさういふ空氣のなかでアインシュタイン教授に親しく接することができたのを、私はこの上なく嬉しく思つてゐるのです。その頃から教授は東洋の文化に對してもかなりに興味をもち、私にもいろいろなことを聞きたゞされたのでしたが、これが後に遙かに遠い東洋への旅を敢てしようと決心された機縁ともなつたのにちがひありません。このやうな處に教授が單に科學ばかりでなく、廣く人間の文化について多大の興味を抱かれてゐることが明らかに知られるのです。いづれにしても、私はあのスイスのチューリッヒの春の日の美しさを想ふと共に、アインシュタイン教授の姿が眼前に浮ぶやうな氣がしてならないのです。
(『夾竹桃』文明社より)
※今回紹介した『夾竹桃』の書影と奥付も、参考までに挙げておきます。