本日は寅彦忌です。

今年はアインシュタイン来日100年の年でしたので、改めて100年前(大正11年)の大晦日の寅彦先生はどうだったかが気になり、年末忙中のさなか調べてみました。ちなみにアインシュタインは前々日の29日に日本を離れています。

寅彦先生は、前日から描きかけた葉牡丹の絵を続け、午後は神田に買い物、そして夕食・浴後は久々に蓄音機を聴き、夜は銀座へ除夜の光景を見物にマント姿で出かけたようです。

カフェーコ―ノスで紅茶を一杯のんで通の羽子板を見ながら帰ったら百八の鐘が鳴り出した

そこで更に気になったのが、寅彦先生が久々に聴いたという蓄音機。ちょうどこの大正11年の4月に、寅彦先生は東京朝日新聞で「蓄音機」と題する連載をしました(全8回)。この随筆には、蓄音機との出会いや思い出、未来への文明論などが存分に綴られています。

この随筆を読んで重ねて気になるのは、寅彦先生のレコードコレクション。日記をみると、最初に蓄音機とレコードを購入した大正7年1月4日を皮切りに、レコード購入の記録が随所で散見されます。一方、故障も多かったようで、大正10年1月4日には新たにヴィクター製を購入したりと、楽器演奏もしていた音楽愛好家の寅彦先生にとって、蓄音機の存在は人生を潤す宝物だったようです。

アインシュタインが来日した際、そのバイオリン演奏を聴講した事については第13号で取り上げましたが、寅彦先生はこの演奏を聴いた翌日の大正11年12月2日、上野音楽学校の演奏会でベートーベンの『第九』とロッシーニの『スターバト・マーテル』を聴き、さらにその翌日の3日には銀座でレコードを買っています。どんなクラッシックのレコードだったのだろうか・・・。大晦日に蓄音機で聴いたのは、ひょっとしてそのレコードだったのだろうか・・・。『スターバト・マーテル』は、すでに大正9年11月に書いた随筆「小さな出来事」の「二 乞食」で登場しているから、もしやレコードを持っていたとすればそれを聴いただろうか・・・、などと想像はいろいろと膨らみます。

そこで、恐らくこの時期に所持していたであろうレコードを、日記や書簡から調べてみた結果が以下になります。日付などがわかるものは括弧書きしています。

・シューベルト、『魔王』(唱歌)(大正7年9月22日購入、銀座十字屋)
・サン=サーンス、『序曲とロンド・カプリチオーソ』(バイオリン)(大正9年2月21日購入、銀座山野楽器店)
・ベートーベン、『月光ソナタ』(同日)
・チャイコフスキー、『なつかしい土地の思い出』より「メロディー」(バイオリン)(同日)
・ワーグナー、歌劇『ローエングリン』(大正10年1月4日購入)
・グノー、歌劇『ファウスト』より「メフィストフェレスのセレナーデ」(同日購入)
・ワーグナー、『リエンツィ』序曲(オケ)
・ワーグナー、歌劇『タンホイザー(巡礼の合唱)』
・ワーグナー、『タンホイザー』より「夕星の歌」(男声唱歌)
・サラサーテ、『ツィゴイネルワイゼン』(バイオリン)

・ベートーベン、『交響曲第5番「運命」』
・サン=サーンス、『動物の謝肉祭』より「白鳥」(チェロ)
・ラフマニノフ、『10の前奏曲』より「変ト長調の前奏曲」(ピアノ)
・チャイコフスキー、『秋の歌』(バイオリン)
・リスト、『ハンガリー狂詩曲』(オケ
・ドヴォルザーク、『8つのユーモレスク』(バイオリン)
・プッチーニ、歌劇『蝶々夫人』
・モーツァルト、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』(ウェストミンスター聖歌隊)

これらは大正12年1月15日付け五島寬平氏宛て書簡にリストアップされたものが中心になっており、あくまでクラッシック・レコードに限っていますので、他にも日本の童謡なども寅彦先生は所持していました(「蓄音機」に登場する『ドンブラコ』は大正7年1月27日に銀座十字屋で購入)。上記リスト中のチャイコフスキー『秋の歌』は、大正11年9月に書かれた「秋の歌」のテーマそのものです(この作品の背景についてはこちらを)。

これらのレコードコレクションを見ると、大晦日に聴いたのは一体どれだったのかが気になってきます。寅彦先生が聴いたアインシュタインのバイオリン演奏曲は、ベートーベンの『クロイツェル・ソナタ』でした。そしてその翌日、上野の演奏会で聴いたのもベートーベンで曲は『運命』、となると大晦日に聴いたのはやはりベートーベンあたりだろうか・・・、あるいはバイオリン演奏のレコードかもしれない・・・、などと妄想する次第です。

寅彦先生のベートーベン好きは年末恒例の『第九』を通してみてもよく分かります。『第九』のレコードは大正13年に指揮棒とセットで購入しており、スコアを見てタクトを取りながらレコードを聴くほどの愛好ぶりです。そんな様子からも上のような憶測をしてしまいますが、皆様はどんな想像をされるでしょうか。

アインシュタインに感化されたバイオリン熱は、その後、大正13年12月初旬に来日したジンバリストの演奏会(来日2回目で帝国劇場)に行ったことからもそのほとぼりが伝わってきますし、晩年における坪井忠二氏との合奏で『クロイツェル・ソナタ』に挑戦していた記録からも、寅彦先生のこだわりの強さが垣間見られます。(ちなみにジンバリストの演奏会の初回は大正11年5月にあり、当時小宮豊隆氏から誘われていましたが論文で忙しく行けなかったようです。もしこのジンバリストの演奏会に行っていたら、寅彦先生はアインシュタインより先にジンバリスト演奏の『クロイツェル・ソナタ』を聴いていたかもしれないわけですね。そう考えると、アインシュタイン演奏を聴く“運命”だったことは不思議なものです。ジンバリスト来日演奏会にはその後も昭和5年9月に高嶺俊夫氏と行っています。)

そんなことで、100年前の寅彦先生の音楽鑑賞を妄想しながら、今年は窮理舎も何かレコードを聴きながら越年でもしてみようかと思う寅彦忌であります。次号の井元信之先生の連載を意識して、バッハの平均律や無伴奏でも聴こうかしらん。

皆様、良いお年をお迎えください。