本日は寅彦忌ですが、細谷暁夫先生の『寺田寅彦『物理学序説』を読む』の発行日でもありますので、いくつか補足案内をしておきます。

『序説』を書き始めていた百年前の寅彦先生は、「朝からずつとウエブスターの力学を読みつゞけた」ようです。雪のせいで世界が静寂でしんとして」いた1920年の大晦日でした。

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【補足1】

本書表紙に載せた寅彦先生自筆の文章について、詳細全文は口絵および千葉俊二先生の文献を見て頂きたいのですが、表側と裏側には特に重要と思われる部分を抜き出して銀文字で掲載しました。崩し字や変体仮名もあるので、以下にこれらを書き起こしておきます。

(表紙:表側)

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今の物理学がもう少し統一すれはそんなにも思ひませんが、量子説などゝクラシカルの力学との融和がとれず、電子説が凡てを説明し得ぬ処を見るとどうも根本的の新しい展開が伏在して居るのではないかと疑ひます

下らぬ事ですが例へは人間の耳の構造を詳しく調べて見るとどうも其微妙なのに驚嘆しますが此の様な微妙なメカニズムは唯人間が顕微鏡などて見得る範囲だけに止つて例へば原子の構造などは割合に簡単なものと考へ得る理由が何処にあるかと考へます。例へは人間を原子位にしか見得ぬ他のbeingがあつたとして音波に対する人間原子の反能を験して居たら矢張何かの「方則」などは見つかりましようが。吾人のラビリンスの様なメカニズムの存在は夢想する事も出来ますまい。」

(表紙:裏側)

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プランクの様な考では現代物理学が既に其能力の限界に近い処迠進んで居て唯僅に其処彼処の穴さへ繕へば最早それで凡てが終る様な楽観的の気分が潜在して居るのではないかと疑います。人間の感覚を無視するようで居て実は人間の感覚だけから得られた世界(しかも今日迠に得られた世界)が知り得られる凡てゞある様に考へて(表面はそうでなく共根柢にはそういふ考があつて)居る傾向がありはしないでしようか。一方でマッハは感覚のみが実在の凡てと口では云つて居ますがそれでも腹の中では感覚から出発して窮め得る限界には制限はおいてない様に思ひます。尤も此れは少し私の僻論でプランクもマッハも帰する処は似たものかも知れませんが兎も角プランクは安心して居り過ぎはしないかといふ疑が起つて時〃迷ふのであります。物理学といふものが段〃発展しておしまいには生物界の現象に迠切り込んで行く事はないでしようか。

【補足2】

ルクレチウスの詩について。

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ルクレチウスは一つの偉大な科学的の黙示録(アポカリプス)である」と、ヨハネの黙示録に対比させて、その科学的精神の啓示の力を絶賛した寅彦先生。

本書の扉裏に掲げた詩句は、「どこかの科学研究所の喫煙室の壁にでも記銘しておいてふさわしい」と、寅彦先生が特筆しているものです。

ケルビン卿やマクスウェル、そしてド・ブロイ、シュレーディンガーまで、ルクレチウスやその師であるエピクロスには啓発を受けています。もちろん湯川先生も…

寅彦先生曰く、「古い事ほど新しく、いちばん古いことが結局いちばん新しいような気がして来る…」。

細谷先生の解説にあるとおり、古代ギリシアの文化や哲学を博物館行きにすることは戒め、現代に活かすべきです。

また、ルクレチウスの『物の本質について』も未完なのですが、その精神を受け継いでいる『物理学序説』もまた未完なのは誠に不思議な符合であります。

「ルクレチウスと科学」の結びにあるように、つまりは、「科学の巻物には始めはあっても終りはないはずである」ということなのかもしれません。

【補足3】

本書の解説や対談などで特に関連する寅彦作品のリンクを、以下、年代順に挙げておきます。

○大正2年(1913年)36歳

3月:「物理学の応用に就て

○大正4年(1915年)38歳

10月:「方則に就て

未発表:「知と疑い」「物質とエネルギー

○大正5年(1916年)39歳

1月:「科学者と芸術家

○大正6年(1917年)40歳

1月:「時の観念とエントロピー並びにプロバビリティ

11月:「物理学と感覚

○大正9年(1920年)43歳

11月:「鸚鵡のイズム

○大正10年(1921年)44歳

1月:「文学の中の科学的要素

○大正12年(1923年)46歳

5月:「言語と道具

○昭和3年(1928年)51歳

9月:「ルクレチウスと科学

○昭和6年(1931年)54歳

4月:「日常身辺の物理的諸問題

10月:「量的と質的と統計的と

○昭和7年(1932年)55歳

1月:「物理学圏外の物理的現象

○昭和8年(1933年)56歳

2月:「自然界の縞模様

4月:「物質群として見た動物群

8月:「感覚と科学

9月:「科学と文学


以上、必要となる最小限の補足を挙げましたが、本書には議論が尽きない話題がびっしり詰まっております。まずはじっくりとご一読いただけましたら幸いです。関連する話なども、後ほど備忘録で案内できればと思います。

それでは、皆様、良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願い致します。

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(先 生 と 話 し て 居 れ ば 小 春 哉  寅彦) (未 完 成 は ポ ア ン カ レ ― の 偶 然 か)