『窮理』第24号が発売されました。

メディア・新聞等でも取り上げられているとおり関東大震災から百年が経ち、本号はそれに合わせて刊行しました。

以下、いつものように各記事の概要を案内いたします。

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関東大震災から百年/尾池和夫

巻頭の尾池和夫先生には「関東大震災から百年」と題して、当時の状況を同郷の寺田寅彦の言葉や記録を導入に解説いただきました。特に震災の頃の社会的背景やそれと重なる地震活動期、また地震直後の知られざる通信連絡の詳細が紹介されます。日本の将来に向けての地震予測と提言も最重要課題です。

関東大震災を今に伝える―災害と復興、そして現在/武村雅之

武村雅之先生には、尾池先生に続いて関東大震災で起きた被害の全容と復興、そこから見えてくる現在の首都東京の抱える防災上の問題点について解説いただきました。震源域の神奈川県で起きた火災、土砂災害、津波被害の全容、そこから離れた東京でなぜ最大の被災が起きたのか、江戸時代から続く震災からの教訓とその原因が語られます。当時行われた帝都復興事業から見えてくる新たな課題と目標は看過できません。(関東大震災については、以前書いたこちらの窮理備忘録もご参考までに。)

髙木ミヱ―ある女性物理学者の軌跡/古川 安

古川安先生には、東工大で最初の女性教授となった「髙木ミヱ」先生を紹介いただきました。芥川賞作家・津村節子の自伝的小説『茜色の戦記』に登場する話は戦中期の女性科学者の成り立ちや良き指導者の存在が一際目立ちます。湯浅年子、菊池正士、三宅静雄らとの出会い、結婚と子育てを経ながらの博士取得、そして東工大初の女性教授へと至る道程が、真率な人柄と共に描かれます。ご長女の川合眞紀先生の登場が錦上花を添えています。

雑考―偶然と必然と/亀淵 迪

創刊以来お馴染みとなっている亀淵迪先生のエッセイシリーズの今回は、甲子園の野球中継から始まる偶然と必然をめぐる雑考随想。アウグスティヌスを初めカント、ラプラス、スピノザ、ガリレイ、エンゲルス、アインシュタイン、ウィグナー、ヘーゲル、ライプニッツ、…と、物理・数学・哲学が縦横無尽に繰り出されて、自由をめぐる人生論へと展開します。ここまで来ると、スポーツ観戦も思考を深める舞台装置にもなる格好の例です。

人は自然理解(世界理解)を極め得るか/北原和夫

北原和夫先生には、第7号での巻頭言を補完する続編とも言える話をご執筆いただきました。亀淵先生がサロンの客間なら、北原先生はその奥座敷とでも言える、学問(科学)の聖域に触れる論考エッセイです。「知恵の書」として知られる旧約聖書続編シラ書の第1節(知恵の賛歌)から、自然理解とは如何にあるべきかという深い問題提起へと進み、フッサール、アウグスティヌス、ニュッサのグレゴリウスの考察が紹介されます。学問の在り方も問う、知識(scientia)と知恵(sapientia)、そして関与(participatio)といった概念が、4年間の神学校で培われた理解から語られます。

音楽談話室(二十四)平均律は越えられるか?/井元信之

井元信之先生の「音楽談話室」は音律シリーズ4回目の最終話。今回は、200年近く西洋音楽を席巻してきた「平均律」の功罪について。音律の歴史から俯瞰することで、平均律がなぜこれほど普及したのか、その背景となる調律の標準化について議論します。和音から単旋律に視点を移した論考や、ショパン時代に見られたウルフを逆用した話、更には音律の矛盾を解決すべく開発された2段ピアノ等へと展開されます。

一世紀前の日本の物理学とアインシュタイン来日(三)/伊藤憲二

伊藤憲二先生のアインシュタイン来日連載は今回が最終回。アインシュタインが京都に滞在した1922年12月15、16日にフォーカスして、ア氏が京都のどこを訪れ、どんな風景や建造物を見ていたのか、先行文献と照らしながらその足跡を検証します。歴史上の人物がどんな土地を訪れたのか。そこでの体験を共有させる記憶装置として場所の存在を再考します。(この取組みは次の新連載の伏線となっています。)

随筆遺産発掘(二十四)寺田先生のこと/矢島祐利(解説:細川光洋)

細川光洋先生解説の「随筆遺産発掘」も今回が最終回。大トリで取り上げるのは、日本科学史学会名誉会員であり、『寺田寅彦』の伝記でも知られる矢島祐利先生です。紹介する随筆は、終戦直後に書かれた師への追懐を綴った「寺田先生のこと」。戦後の混乱と引揚げのために学問の上で路頭に迷っていた矢島先生にとって、実質的な出発点となった文章です。『寺田寅彦』の背景がわかる貴重な話をお届けします。

本読み えんたんぐる(二十)古い新書で原子力「善悪」二分論を問う/尾関 章

尾関章先生の「本読みえんたんぐる」は、原子力問題をめぐる解説書2冊を絡めます。戦後日本で捉えられてきた原子力の善(発電)と悪(核開発)の二分論の是非を問いつつ、現在渦中の福島原発における汚染水海洋放出と関わる放射能リスクと環境問題に目を向けます。

窮理逍遙(十七)ゼルドビッチの高弟ノビコフとスニヤエフ/佐藤文隆

佐藤文隆先生の「窮理逍遙」は、旧ソ連の水爆開発でも知られる物理学者ゼルドビッチにまつわる回顧談です。ソ連物理学が全盛の60年代、ゼルドビッチを筆頭にノビコフ、スニヤエフらとの原始ブラックホールや宇宙背景放射等の論文が学会を風靡。そんな中、ワルシャワやブルガリア、京都における彼らとの交流が語られます。

窮理の種(二十三)火花と音楽/川島禎子

川島禎子先生の「窮理の種」は大正15年夏に松根東洋城と栃木県の塩原温泉で巻いた連句の冒頭三句を紹介。旅先での洗濯光景を詠んだ東洋城発句に、山間で遭遇した稲妻を詠んだ寅日子脇句、そこへ盆踊りの太鼓で転じた東洋城第三句。解説では、寅日子脇句の背景に、当時取り組んでいたスパーク研究と随筆「線香花火」を重ねます。火花のソナタと太鼓のリズムの相性に注目です。(こちらは新刊『寺田寅彦「線香花火」「金米糖」を読む』も合わせて是非!)