本日は『窮理』第26号の発売日です。

以下、いつものように各記事の概要を案内いたします。


朝永振一郎『物理学とは何だろうか』第Ⅲ章第三節を読んで/佐々真一

名著『物理学とは何だろうか』を現代的視点も交えて批評的に読む格好のロールモデルです。学生時代から時を置いて再読する重要な例でもあります。コトとしての物理がいかに創られていったか、先生の解説によってカオスへの理解が補完されます。

虫・鳥と生活する/今野真二

前回の主観と客観の問題に続き、今回は文学と科学の分かちがたい境界について、中西悟堂を軸に「詩」と「解説文」の違いについて考えを深めていきます。その中で、鳥や虫、植物といった自然への眼差しが、詩人も科学者もそれぞれの人生を豊かにしている例に触れます。

天文学と『銀河鉄道の夜』/谷口義明

本稿は、宮沢賢治の代表的名作『銀河鉄道の夜』に登場する「天気輪の柱」を、現代天文学の立場から徹底検証するというユニークな取組み。読み解く中で、賢治の宇宙観も垣間見られ、他の作品との繋がりも見えてきます。

ユクスキュルの環世界論と物理学/釜屋憲彦

生物学界のアインシュタインことユクスキュルの環世界論について、分かりやすい入門とともに寺田寅彦の随筆に伺える着眼の鋭さや物理現象も視野に含めた壮大な展望が語られます。それは人間の視点からだけでは見えない主客に関係する認識論であり、AIなど諸分野にもヒントになり得る話です。

学術誌ヒストリー(二)『東北数学雑誌』と林鶴一/ハラルド クマレ

連載第2回はハラルド・クマレ氏の『東北数学雑誌』。1911年に数学者の林鶴一が自費で創刊後、林の国際的なネットワークを通じて、掛谷宗一とエネシュトレムの定理の周知や、日本と国外の数学者の橋渡しを務めた様々な経緯を辿ります。

音楽談話室(二十六)ラフマニノフとスクリャービン/井元信之

AI時代の本格的幕開けに際し、芸術(とくに音楽)でのAI利用にどのような不安要素があるか。本稿では、AIが人間を上回る演奏をしても問題ないと思ってしまう鑑賞者側の心理に警鐘を鳴らします。その背景として、創作曲や創作家をいかに見るか、ラフマニノフとスクリャービンを比較しながら、両者の創作と演奏の裏側を案内します。

仁科芳雄をめぐる旅(一)里庄浜中とその周辺(後編)/伊藤憲二

前回の仁科先生の故郷、岡山県里庄町の案内に続き、今回は周辺地域と海に関する史跡を紹介。多くの干拓地に関連する遺跡写真を見ながら、干拓塩田で製塩業を営んだ仁科家と、その“環境を創る人間の営み”に触れて育った仁科先生のルーツに迫ります。

科学随筆U30(二)ポスト資本主義における科学と独学/佐藤悠大

U30第2回は前回と毛色が異なり、未来に向けた若者の提言。従来の科学研究とは異なる「独学」への追求が、著者の掲げる理想社会において実現可能か語られます。今までの科学者像とは違う新しいイメージを想像させつつ、一方で科学の歴史に根ざした議論へと深める必要性も感じさせるエッセイです。

窮理逍遙(十九)ルドルフ・パイエルスと湯川のスナップ写真/佐藤文隆

湯川秀樹の亡くなる直前に撮影された生前最後の集団写真の思い出話。たまたま当時来日していたパイエルスも加わった集合に、佐藤先生の記憶はパイエルスとフリッシュが考案した原爆の発端となったメモと映画『オッペンハイマー』へと及びます。

窮理の種(二十五)クシャミする寒月/川島禎子

本稿では、昭和8年2月に『渋柿』誌に掲載された寺田寅彦の短い随筆と俳句を紹介。当時執筆に引く手あまただった寅彦先生が、書店で自分の本と安倍能成氏の本を読み比べていた高校生に、若かりし頃の自分を重ねるという話。なぜクシャミに至ったかは本文を是非!