お陰様で第10号が発売されました。(

今回は戸塚洋二先生の没後10年の節目に合わせて、先生のご命日の今日、刊行させていただきました。
生前ブログに書かれたエッセイ「自分の痕跡」を取り上げています。なぜこのエッセイを取り上げたかについては、細川光洋先生の解説をお読み頂けましたら幸いです。

また、梶田隆章先生が戸塚先生と出会われたのは、戸塚先生がドイツから帰国されたばかりで神岡の掘削も始まっていない頃だった、という回想から始まる巻頭エッセイは、これまでのニュートリノ研究の歩みも振り返る意義深い内容であり、今年で没後十年になる戸塚先生との思い出を偲ぶ貴重な追想録です。

以下に、各記事の簡単な紹介を案内させていただきます。

原康夫先生に綴って頂いたエッセイは、「追想 朝永振一郎」に新たに加わるべきものです。「別居していた祖父を孫が偲ぶような気持ちでこの稿を草した」と書かれた原先生の真意がわかる、味わい深い機知に富んだ文章です。

高木隆司先生は、前野良沢、橋本吞斎といった江戸時代の窮理学を追究した人たちに倣って、専門外の領域に研究の考察を広げてみようと提案されています。本稿は、その例として、竜巻現象について考察した「私の窮理学」。小誌創刊の志にも通じる、現代に巻き起こしたい窮理ムーブメントです。

昨年から話題のチバニアンの背景には、知られざる日本人学者 松山基範の活躍があります。地球逆磁極期を唱えた松山に、「松山は逆立ちして鉱物を拾ってきたのだろう」と当時揶揄された中で、その価値を認めた人が寺田寅彦その人でした。そんな松山基範の生涯を、前中一晃先生にご紹介いただきました。

井元信之先生の音楽談話室第10回のテーマは前回に続く「お宝と贋作」の後編。今回は、作曲に関する贋作の話を2タイプに分けて解説いただいています。「え?まさかその曲が?」という話や数年前に国内で起きた事件を例に、一つの曲が世に出るとはどういうことか、科学論文の話とも絡めて展開されています。

伊藤憲二先生の「水野敏之丞と『電子論』」は最終の第3話。今回は、水野が力を注いだ無線電信論の背景について詳しく解説されています。その上で、第1回で問題提起された、なぜ勇ましい文体を水野が執筆に用いたのかという時代背景について、最後に結論が展開されます。

尾関章氏の「本読み えんたんぐる」第6回は、前号でも取り上げた南方熊楠の関連本を紹介。タイトルどおり熊楠の先見性と国際感覚について、尾関氏ならではの分析に基づいた解説が展開されています。国境も時代の枠も越えた熊楠ワールドに脱帽です。

佐藤文隆先生の「窮理逍遙」第3回は、今年で生誕100年を迎えるファインマンの指導教官だったホイラーが、京都に来たときの当時の講義録について。ブラックホールの名付け親のホイラー京都講義、聴講できるなら聴いてみたいものです。

高知県立文学館の川島さんの連載「窮理の種」第9回は、寺田寅彦の関東大震災後の実地検分から秦野で詠まれた俳句について。「天災は忘れた頃にやってくる」という有名な言葉を残した寺田寅彦を通して学ぶ教訓について解説して頂きました。秋の企画展も行きたくなります。

以上、節目の窮理 第10号、どうぞよろしくお願い致します!