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石原純と愛知敬一の不思議な「運命」

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石原純と愛知敬一の不思議な「運命」

第5号で登場した、東北帝大時代の同僚同士であった石原純と愛知敬一 二人の運命の不思議な類似について紹介したいと思います。

石原純の随筆は、第5号の随筆遺産発掘で「春と埃り」を細川光洋先生に解説して頂きました。解説中に出てきた随筆「雨粒」もとても素晴らしい作品ですので、合わせて読んで頂けるよう当ページにアップしておきます(→「雨粒」)。(また、週刊朝日初出の「春と埃」もアップしますので、創作過程の変化も味わってみてください。→「春と埃」改訂前

石原純には他にも多くの随筆や短歌がありますが、中でも「運命」という随筆には、第5号から伊藤憲二先生に連載して頂いている愛知敬一の話が“A博士”と称して書かれています。

愛知敬一については、別項でその奇抜なアイデアとも言える著書『電子の自叙伝』を案内しましたが()、その人生の最期は非常に痛ましいものがあります。

愛知は大正12年、関東大震災の約2カ月ほど前の6月23日に、鮪の刺身による食中毒で急逝していますが、そのことが上の石原の随筆「運命」の中で触れられており、「養生主義の博士が刺身の中毒で死なれたといふのは、どうも人間に対する惨ましい自然の皮肉であるやうに思はれてならない」と書いています。

一方で石原は、昭和20年12月に交通事故で重傷を負い、そのことが原因して、約一年後の昭和22年1月19日に世を去っています。

二人は東北帝大物理の同僚として、理論の双璧でもあったわけですが、両才人の最期を知ると、改めて石原の随筆「運命」の結びが強く響いてきます。

人間の死を一概にその人の不幸と見るやうな囚はれた考へを棄てるなら、そのまへに運命といふやうな言葉をどこかへ片づけてしまはなくてはなるまい。

第5号で紹介した随筆「春と埃り」の中で、“自然はやはり巧妙につくられてゐる”、“自然のあらゆる複雑さといひ知れぬ妙味”、“自然のいかにも意味ぶかいはたらき”と表現した物理学者らしい言葉が、「運命」という随筆のもつ響きと共に、石原自身の人生にも反響し、重なり合っているように感じます。スキャンダルにも身をくぐらせたその人生を思うと、“運命”という言葉の重みがより一層鋭く心に残ります。

上の「運命」の結びを、石原自身の言葉で同じように言い換えるならば、次の「春と埃り」の言葉も強い意味をもって訴えてくると思います。

とかく人間の浅い思慮ですべてを判断するのは大いに誤ってゐると云はなくてはなるまい。

 

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