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数学と文学、文学の中の科学―文学者と脳科学者の目に映る近代文学史

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数学と文学、文学の中の科学―文学者と脳科学者の目に映る近代文学史

第8号の「随筆遺産発掘」では、数学者の吉田洋一の叙情味あふれる名品「アカシヤの記憶」を取り上げました。本項では、数学と文学、科学と文学がもつそれぞれの関係について、歴史も踏まえながら、二三の文献を通して少したどってみたいと思います。

吉田洋一は生前、多くの文学者や俳人たちと交流をしました。府立一中時代の同級生 青木南八をはじめ、南八の縁で俳句をするようになり、後に結社「渋柿」で親しくするようになった松根東洋城、そして遠縁でもあった野村胡堂、編輯者 小林勇氏の仲介で自宅を訪問した幸田露伴、等々。それぞれの出会いについては、「俳句とのつきあい」「物にもつかず」「野村胡堂さんのこと」「幸田露伴のこと」「堀辰雄のこと」といった随筆に書かれており、どれも印象的な描写で綴られています。

数学者の吉田洋一がなぜ俳句を好んだかについては、細川先生の解説にあるとおり、「「無色透明」で純粋な数理に打ち込む一方で、吉田は俳句の多彩なレトリックの世界に心を解放していたのだろう。」という一文に尽きると思います。

同様に数学と文学の関係について、脳科学者の養老孟司先生による指摘が非常に正鵠を射ていますので以下に紹介します。

文学は、理科系における数学のようなものであろう。数学が実験室における証明を要求されないのと同じように、文学の内容もまた、事実との対応を要求されはしない。しかし、文学がある種の「真実」を述べるものであることは、数学と同様であろう。両者は、現実の役に立つような、立たないようなところが、よく似ているだけではなく、脳の機能としては、明らかに食い合わせになっている。文学的嗜好が、数学的嗜好と食い合わせだということは、経験的に、多くの人が知っていることである。逆に、音楽的嗜好と数学的嗜好は、重なることができる。

(『身体の文学史』新潮社より)

更にこれと似たような指摘をしているのが、湯川秀樹先生です。湯川先生も「人間は数学以外にいろいろなものを生み出してきた。その一つは文学です。」として、

数学というのは、出発点はそうでなかったけれども、つきつめてゆくとフィクションになる。物理のほうは、どこまで行ってもノン・フィクションのはずですね。しかし20世紀になると物理にもフィクションがないとは言えなくなってきた。

(『宇宙と人間 七つのなぞ』河出文庫より

と、数学と文学だけでなく、物理と文学の関係性にも鋭い洞察を投げかけています。確かに、現代物理学はそれまでにないフィクション性を帯びてきたと思います。

寺田寅彦も、文学については多くの随筆を残していますが、よく知られる「科学と文学」や「言葉としての文学と科学」の中で、“科学と文学がもつ普遍性”について触れ、文学の本質を“人生の記録と予言”として捉えています。寅彦が示したこの“記録と予言”という意味でとても象徴的に感じるのが、吉田洋一も翻訳し、傾倒したポアンカレの「偶然」です。

これも、細川先生の解説で示して頂いていますが、寅彦は師の夏目漱石にポアンカレの「偶然」を紹介したであろうこと、そしてそれが『明暗』の冒頭近くのナポレオンのくだりに結実し、入試結果の発表を待つ若き日の吉田洋一はその『明暗』とポアンカレの『科学の価値』を読んで時を過ごしたこと、これら一連の出来事が繋がっているのも偶然とはいえ不思議なことです。

そして、この漱石の『明暗』と軌を一にするように“偶然”を描いた作品が芥川龍之介の遺稿ともなった『歯車』です(青空文庫)。そのことについて、文学者の千葉俊二先生が上梓された『文学のなかの科学―なぜ飛行機は「僕」の頭の上を通ったのか』(勉誠出版)で詳しく解説されていますので、その概要を以下に紹介していきます。

千葉先生はこの本の中で、

「明暗」の主人公がポアンカレの「偶然」の説を知って、「自分の力」を懐疑し「個」の喪失の危機に直面したように、ここから当然、「偶然」に翻弄される自分をみつめるもうひとりの自分―—自意識という怪物も生み出され、育まれてゆくことになる。

と言及され、“近代小説が現代小説へと分岐する地点”として、漱石と芥川の両作品を挙げています。『明暗』における「何うして彼の女は彼所へ嫁に行つたのだらう」という主人公の台詞と、『歯車』における「なぜあの飛行機はほかへ行かずに僕の頭の上を通つたのであらう?」という主人公の台詞には、“偶然”に翻弄されざるを得ない人間という共通点があります。

不思議な重なりですが、養老先生も上掲書で似たようなことを指摘しています。

芥川は一時、超人願望を持ったかもしれないと言われる。それは当然であろう。我=個=私を追及すればするほど、その無内容が歴然とする。個人とは、しょせんは個人に過ぎない。そんなものをいくら剥いたところで、たかだか脳ミソ一つしか、出てきはしない。だからこそ人間は社会を作る。

これは、千葉先生の言葉にある“自意識という怪物”と重なるものだと思いますが、養老先生は、漱石、芥川らと同様に、森鴎外についても取り上げ、以下のようにまとめています。

時代とは、じつに興味深いものだと思う。芥川が今昔を題材にして、それを近世的に変形しつつあるとき、鴎外はすでに『山椒太夫』において、同じように変形した中世を、まったくその意識なく、むしろ正統なものとして描いていた。その後の鴎外は、それがいかに「文学」に見えようと、かれの心理における「科学」を推進する。そのときに漱石は、『私の個人主義』を主張している。こうしたことすべてが、私たちがいま住む世界を予知し、基礎づけているのである。それはこの社会の「近代化」であるかもしれないが、かならずしも西欧化ではない。

“偶然”の話題から話が広がってしまいましたが、上の千葉先生の本には、寅彦を起点に日本文学史を彩る様々な作品と作家が取り上げられています。漱石、芥川の他、二葉亭四迷、森鴎外、谷崎潤一郎、横光利一、村上春樹といった、日本の文学を創り上げた代表的な作家たちの作品と科学をつなぐ“物語の法則”が明快に読み解かれています。

そして、文学作品もまた、時代の変化と共に変質せざるを得ないことに触れ、以下のように看取されています。

活版印刷術とともに誕生した小説という文学形態がコンピュータ時代を迎えてどう変わるかは、現在までのところまだ誰にもよく見えていないようだ。が、二葉亭四迷の『浮雲』から出発した日本近代文学は、1970(昭和45)年の三島由紀夫の自死によって、確実にひとつのサイクルを閉じたのではないかと私には思われる。和歌の世界が『万葉集』から『古今和歌集』、『古今和歌集』から『新古今和歌集』へと変遷していったように、小説も20世紀の後半にその根底からパラダイム変革を迫られたのだとはいえまいか。私はその転換のきざしを村上春樹のデビューに見ることができると考えている。

三島の自死によって近代文学のサイクルが終焉を迎えたことについては、これもまた養老先生が同様な考察を展開しています。

言葉と身体は平行して動くのであって、われわれの「文化」のなかで両者が徹底的に乖離した結果が、三島事件なのである。心身ともに健康というのは、なにも個人の内部に限ったことではない。社会は意識すなわち心であり、個人は身体だからである。小林秀雄は色紙に揮毫を求められると、「頭寒足熱」と書いたそうである。冗談半分とはいえ、いかにもという感がある。そこまで下りなければ、脳と身体について、いうべき言葉が見つからない。この挿話自身が、小林の置かれた時期の、日本の文化的状況をよく示している。

千葉先生が、文学の歴史を“因果律と偶然”のせめぎ合いとして捉え、物語生成の法則に“セルオートマトンの<カオスの縁(ふち)>”や“フラクタル構造”といった複雑系の科学を重ね合わせている一方で、養老先生は、日本における「心」と「身体」のせめぎ合いの歴史として捉え、<脳化>する社会をその背景に重ねているところが非常に興味深いと思います。

この他にも千葉先生の本には、村上春樹の作品から紐解く物語の自己組織化についての話や芥川と谷崎の小説の筋論争、二葉亭の『浮雲』と漱石の『それから』のフラクタルな構造比較、および「内部観則」理論的見解、横光利一の「文学と科学」、AI(人工知能)と文学など、紹介したい卓見に満ちた考察がたくさんありますが、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

最後に、千葉先生の将来を見据えた抱負で結びとします。

いま私は、文学の世界を複雑きわまりない自然現象を生みだすところのきわめてシンプルな法則と、私たちの意志と行動を律するモラルとの交錯する関数としてとらえることを夢想している。

 

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