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松山基範と寺田寅彦

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松山基範と寺田寅彦

第10号では、前中一晃先生に「チバニアンと松山基範、そして寺田寅彦」と題して、地磁気反転説を唱えた日本人科学者 松山基範の知られざる生涯を紹介していただきました。

中でも、当時の松山基範の仕事を評価していた、唯一といってよい存在の寺田寅彦との関わりはとても興味深いところであり、前中先生の結びによると、寅彦日記や書簡の中に「一九二四年から一九三四年までに十年間、主に前記委員会(注:測地学委員会)での基範に関わる記述が出て来る。」とあります。本項では、二人の交流を示す日記と書簡について、当時の寅彦の関心と合わせて紹介したいと思います。

まず寅彦日記の中で、基範に関する記述を時系列に書き出すと、

大正13年4月18日(金)曇
・・・午後測地学委員会、松山君の撫順炭坑に於けるdg/dxの話、

大正14年1月19日(月)晴
・・・昼飯には新城、松山、大谷君も見えた、

昭和7年5月10日(火)
学士院授賞式、金田一、和達、平井、会田、松山、・・・、菊池七氏、

昭和8年4月25日(火)曇
・・・午後学士院で測地学委員会、松山君の満州重力及海底重力の話あり、

昭和9年4月23日(月)曇
・・・午後文部省で測地学委員会。飛嶋再測の件申請。松山君の奈良盆地の重力偏倚、満州朝鮮のg、相模湾のg等の話

昭和9年11月2日(金)曇
・・・夜松山基範君来、海上重力測定結果の概要を聞く

以上のような記述が散見されますが、この中で興味深いのは昭和8年から昭和9年にかけての時期です。ここには“海底重力”や“相模湾”といった言葉が見られますが、この頃の寅彦は、地震研究所や水産試験場の談話会で海底や海流に関する話を以下のようなテーマで発表しており、基範との話が自身の仕事にも関係していたことがわかります。(もともと寅彦は、『海の物理学』というローマ字文の学術書を、大正二年にローマ字社から出しており(UMI NO BUTURIGAKU)、そのことも後年のこうした興味と結びついていると思います。)

昭和8年11月21日「相模湾底の変化に就いて」(地震研究所談話会)

昭和9年6月19日「日本海の深さ」(地震研究所談話会)

昭和9年10月24日「日本海海流の変化」(水産試験場・海洋学談話会)

昭和9年11月20日「珊瑚礁に就て」(地震研究所談話会)

各項目のテーマをみると、上の日記中の基範から聞いた話題とまったく無関係ではないことが良くわかります。とくに、この最後にある「珊瑚礁に就て」とあるテーマについては、その背景がより明確にわかる記述が、基範宛の書簡にありますので下記に全文紹介しておきます。赤字の部分を読んでいただければ、このことがすぐにわかるかと思います。

昭和9年7月14日(土)
本郷区駒込曙町24より松山基範氏へ(封筒なし)

御手紙難有拝見致しました 先日は折角御尋ね下さいましたのに不在で失礼致しました、長岡先生に詳細御説明下さったさうでそれですつかり諒解を得られた事と存じます、併し何よりも結果の面白いものを獲得して先生の御疑念を晴らすが肝心と存じます、いよいよ近日御出かけの由、此度は中々の御骨折れと被察ますが何卒十分御自愛健康第一として其上にて御収穫の大からん事を切望致す次第で御坐います。これだけが少生の「注文」で御坐います、少生ももう廿年も若いと行って見たやうな気か致します、さうして生きた珊瑚の表面の海水の流路と、あの不思議な輪廓の形状との関係を研究したいやうな気がします。サボテンのやうな形をして外圍に縦に並行した溝のあるのなどは、たしかに此れに沿う柱状渦状の水の運動を便にして水の交換従って食餌の摂取に有利なやうにするものでないかと想像されます。對流の原動力は塩水濃度差によるかと思はれます。これは脱線でありますが、もし何處かで珊瑚研究者の變りものに御會ひでしたら御話し下さい、
熊谷君にも宜しく御伝へを願ひます。
どうかかへすかへす御大事に、さうして此の有意義な仕事のスタートを首尾よく御開始になる事を切望致します、

7月14日   寺田寅彦

松山學兄玉机下

二伸 新城さんにもどうか宜敷御鳳聲願ひます、

後半に珊瑚についての話(赤字箇所)が出ていますが、これを読むと、当時の寅彦が珊瑚の形状と生態に関心を示していたことがよく分かります。上の日記と時系列に重ね合わせると、まず7月にこの書簡を基範に送った後、基範は海上測定に出かけ、戻ってきてから11月にまた寅彦に結果を話しに尋ね、その後、同月20日に寅彦は地震研究所で珊瑚についての発表をしていることになります。

上の書簡中で、「珊瑚の表面の海水の流路と、あの不思議な輪廓の形状との関係を研究したいやうな気がします。」と基範に書いている寅彦は、すでに前年の昭和8年2月に「自然界の縞模様」と題する論考を『科学』誌に寄稿し、その中で珊瑚についても多く触れていることがわかっています。以下にその一部を抜粋すると、

ある時そういう珊瑚の標本の写真を見ていたときに、これも何かやはり対流による柱状渦と関係があるのではないかという空想が起こった。こういう生物群体の表面に沿うて何かの原因で温度あるいは濃度差による対流の起こることは可能であり、それがあるとすればその対流の結果は生物の成長に必然的に反応するであろうと思われる。とにかく、天然がただものずきや道楽であのような週期的な構造を製作するとは思われないので何かそこに物理的な条件が伏在するであろうと想像するのはやむを得ない次第である。しかしこれはそう思ったというだけのことでなんら具体的の事実を調べたわけではない。

と書いています。内容は、基範への上の書簡とほとんど同じことを述べています。この珊瑚の研究に関しては、機会があったらもう少し調べてみたいと思います。

以上のように、松山基範の存在は寺田寅彦によってその価値を見いだされただけでなく、寅彦自身にとってもなくてはならない存在であり、さらに寅彦の晩年における“寺田物理学”の深化に、とりわけ重要な影響を与えていたことも忘れてはならない事実です。

いつの時代にも他人から理解されない人はいます。問題は、そういう人の真価を見抜き、自分の肥やしにすることができるかどうかです。寺田寅彦という人物は、少なくともそういった稀有な能力も持ち合わせた伯楽でもあったことを、私たちは学ぶべきではないかと思います。その証拠に、松山基範の名が、新たにチバニアンと共に知られる時が来ています。

 

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