職業としての科学、趣味としての科学――新しい科学者像
真の意味における自由とは、全体のなかにあって、適切な位置を占める能力のことである。全体を否定する個性に自由はない。すでに在る全体を否定し、これを自分に都合のいいように組織しなおすことは、部分たる個人のよくなしうることではない。たとえ頭数をそろえようと、それは不可能なことだ。だが、今日、ひとびとは、それが容易であるかのごとき錯覚をいだいている。組織ということばが流行するゆえんである。
が、そんなことはできるわけがない。私たちは、不可能なことを可能と錯覚することによって、なにものかが、もっとも大切ななにものかが失われつつあることを気づかずにいはしないか。(福田恆存『人間・この劇的なるもの』五より)
第26号の「科学随筆U30」では佐藤悠大氏の「ポスト資本主義における科学と独学」を掲載しました。詳細はぜひ小誌をお読みいただきたいのですが、ここではこのエッセイで提言されたことについていくつか考えてみたいと思います。それによって本稿表題に象徴されるテーマについて何らかの輪郭を描ければと考えます。
本エッセイで提言されている主張は、社会的な問題と学問的な問題と大きく2つに分けて見ることができると思われます。前者は労働論、後者は学問論。両者に通底する自由に関する問題は、冒頭の福田恆存の言葉のとおりなのでここではあまり深入りしません。
佐藤氏はエッセイの中で、長期的に学問(とくに彼にとっては物理学)に携わるためにこれからの社会に何が必要かを考え、エッセイの表題のとおり「ポスト資本主義社会」という世界の到来を初めに仮定しています。そこでは現在の社会が抱える資本主義の構造的問題であったり、教育の商品化であったり、独学のタブー視など、彼が物理学に長期的に携わるための弊害となる要素を指摘しています。こうした社会にあって、彼が望む(物理学を)「勉強」する立場を保持するには研究職くらいしか職業がないと主張します。そしてそのような立場は、「労働時間が大幅に短縮されると同時に、人々がお金を稼がなくても生きていけるようになった」ポスト資本主義社会において実現可能だと言います。講評の佐藤文隆先生はそのことには「首を傾げる」と両断しましたが、果たしてそのような社会は実現できないものでしょうか。否むしろ、多くの人たちも佐藤氏のように「勉強」することに時間を費やせる社会を望んでいるでしょうか。まずは労働について少し考えてみます。
○『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』と『会社員の哲学(増補版)』
この章題は、昨年から今年(2023~24年)にかけて筆者が注目した若手の著者が書いた本のタイトルです。前者は文芸評論家の三宅香帆氏によって集英社新書から出されたもので、2024年のノンフィクション大賞に選ばれたこともありご存知の読者も多いと思います。一方、これより前に後者の本は会社員の柿内正午氏によって私家版として刊行されており、内容も前者の表題テーマをカバーするに足る鋭い論考に満ちています。筆者はこの本を赤坂にある書店 双子のライオン堂で購入し、初見でその内容に目を引かれたと同時に、後日柿内氏本人と会った際その若さにも驚いたのでした。
小誌の「科学随筆U30」は20代以下を中心とした平成以降生まれの理工系出身の書き手を発掘する企画ですが、この2人の著者も分野は違えど同年代であることを強調しておきます。三宅氏はYouTubeをはじめテレビ等でも知られていますが、柿内氏もTBSラジオや書店等でのトークイベントで周知されており、現在注目の若手著者陣です。
この2冊には、上の佐藤氏が指摘する資本主義の構造的問題に起因する社会現象が取り上げられており、三宅氏の本は表題どおり読書と労働について、柿内氏の本ではサラリーマンが働く哲学的意義について、それぞれ深い考察と分析がなされています。
柿内氏は『会社員の哲学(増補版)』を大きく4部構成でまとめており、第Ⅰ部は「自由」について、第Ⅱ部は「責任」について、第Ⅲ部は「個人と社会」について、第Ⅳ部は「会社員の日常的実践」について、それぞれ労働の根本ともいえる概念を問い直し、自身の経験に根ざした実践の具体例まで示されています。「そもそも、なぜ働かなくてはならないか。できることなら働きたくない。」という社会人なら誰もが一度は考えるであろう疑問に沿って、ある種のサバイバル術といってよい哲学が説かれています。例えば「自由」と「責任」についてのパートでは、AIの台頭によってかつての「自己実現」の時代はもはや終わっており、個人はAIの代替物としてメンテナンスされることしか残っていない、ゆえに我々は会社の外に自由と責任を引き受ける生活を模索するしかない、といった提案は、冒頭の福田恆存の言葉も裏返しているようで快刀乱麻の気分になります。
佐藤氏ができることなら働かずに物理学の勉強だけしていたいと考えるように、柿内氏もできることなら働かずに自主制作や文筆活動などをしていたいと考えている点では似た立脚点にいると思います。二人に強く同意する人たちも社会にたくさんいるはずです(筆者も同じく)。柿内氏は上の提案を挙げた上で、個人が社会で働く立ち位置を再設定します。会社は我々の安楽を担保する保育器だと考えて、迷惑こそ会社でかけるべきだと。語弊のないように本人の言葉を借りるなら、
お互いの迷惑を持ち合う寛容の装置として会社を使い倒す態度は、会社のあり方をすこしずつマシなものに変えていくかもしれない。お互いの面倒や迷惑を引き受けるというのは、ケアやメンテナンスの論理でもある。近年盛んに叫ばれる「脱成長」とは、これからは生産ではなく再生産にこそ注意の比重を置いていこうという提言である。がむしゃらに他人を搾取して、競争して、どんどん生産して成長していく。そういうあり方から、他人と面倒を見合い、みんなでほつれを直し、掃除をし、補い合う。そのようなあり方へ。生産ではなく再生産をこそ優位に置く方向へのシフト。
(7章「よりよい生へ」より)
に向かっていくべきではないかということです。そして、「大切なことは、何でもはいうことを聞かない、という態度だ」とし、「会社ではあえて部分に甘んじることで元気を節約し、その元気をもって主体的な個人として社会に働きかける道を試行したい」と、現状においてどのように労働していくか、その哲学の具体的実践へと論を進めつつ柿内氏は本書を結んでいます。とくに、日記を自己観察・自己変容を実現するツールとしている点などは大いに参考にすべきでしょう。
ここで三宅氏の本にも触れたいと思いますが、大変面白いことに、柿内氏の「会社では部分に甘んじることで元気を節約し…」という態度について、三宅氏も同様に以下のような結論を著書の最終章「「全身全霊」をやめませんか」で提言しています。
つまり私はこう言いたい。
サラリーマンが徹夜して無理をして資料を仕上げたことを、称揚すること。
お母さんが日々自分を犠牲にして子育てしていることを、称揚すること。
高校球児が恋愛せずに日焼け止めも塗らずに野球したことを、称揚すること。
アイドルが恋人もつくらず常にファンのことだけを考えて仕事したことを、称揚すること。
クリエイターがストイックに生活全部を投げうって作品をつくることを、称揚すること。――そういった、日本に溢れている、「全身全霊」を信仰する社会を、やめるべきではないだろうか?
半身こそ理想だ、とみんなで言っていきませんか。
そしてニーチェの「自分を忘れるために激務に走るな」といった言葉をあげつつ、働きながら本を読める社会を推奨し、柿内氏と同様、最後にその実践例も紹介しています。上の引用の最後にある“半身”という働き方は、佐藤氏が望むポスト資本主義における余暇社会と交差することも示唆されています。
三宅氏の本では、明治期から大正、昭和を経て戦中、戦後60年代、70年代、80年代、90年代、2000年代、そして2010年代と、各年代における日本人の労働と読書の歴史を俯瞰し、そこに見られる特徴を通して日本人の仕事と読書のあり方に潜んでいる問題点を見事にあぶり出しています。三宅氏も柿内氏と同様に、AIを前提とした労働と文化の両立を見いだしている点も不思議と共通するところです。また、佐藤氏がエッセイで最も主張している“独学”の背景といえるものが、明治期の修養と教養の分離から戦後の自己啓発、自己実現、個人主義といった変遷を通して朧気に見えてきます。
さらに三宅氏が主張されていることは、読書とはノイズ込みの知であり、情報とはノイズ抜きの知であることを掲げて、仮に今の自分にはノイズになってしまうような他者の文脈にも触れることで、働きながら本を読む一歩を踏み出そうと勧めています。つまり、ノイズとは自分から遠く離れた文脈のことであり、それに触れることこそが読書の醍醐味であるということなのですが、実はこの読書のノイズ性については外山滋比古氏も述べており、ノイズが大きいほど作品の魅力も高まり、歴史的に古典化されることを指摘しています(『異本論』ちくま文庫)。三宅氏は、“半身で働く”ことでそうしたノイズを受け入れられる社会=読書できる社会を創っていくことを提唱しています。この「読書できる社会」は、佐藤氏のエッセイでいう「独学できる社会」と置き換えてみてもよいでしょう。
だとすれば、このような“半身で働く”社会が実現することで独学を歓迎する環境も今よりもっと広がるかもしれません。佐藤氏はエッセイの後半で、情報化社会の深化により独学の前景化と知識の無償化が進み、研究/勉強、仕事/趣味、プロ/アマの境界が薄らいでいき、科学研究のスタイルに変化が起きるのではないかと、希望的観測を残して稿を結んでいます。そこで次は、「科学者」(サイエンティスト)というあり方について、その歴史を概観しながら現在と未来を考えてみたいと思います。
○科学者(サイエンティスト)という存在
科学の専門分化が顕著になってきたのは主に19世紀以降からだと言われます。歴史的にみれば比較的浅いかもしれません。「科学者(サイエンティスト:Scientist)」という名称が使われる前は、自然を探究する人たちをフランス語圏では「哲学者」「学者」、ドイツ語圏では「自然研究者」、英語圏では「自然哲学者」「実験哲学者」「科学する人」等の呼称があったようです(以下、古川安『科学の社会史』ちくま学芸文庫)。イギリスの数学者で哲学者のヒューエルは、「数学者」「化学者」「物理学者」といった専門分化が進んだことで、それらを総括した名称として「Scientist」という言葉を提唱し、それが現在へと定着していったと言われます。
こうした科学の専門分化に加えて、職業化はどのように起こったでしょうか。それには佐藤氏のエッセイでも挙がったプロ/アマの問題が最初に関わってきます。プロフェッション(=スペシャリスト)には社会的制度による職業構造が関係することからその背景は多様です。18世紀の頃は、例えばガリレオにとってのメディチ家のようなパトロンであったり、あるいは名門貴族の出身者などが科学研究を支えていましたが、科学・技術の専門教育が制度化され始めたことで変化していきます。とくに工学教育の普及によって工学者が誕生するにつれて、職業科学者として教育機関で教える教員も増え、さらに決定打は産業革命により社会が工業化していくに伴って、産業界で科学者(サイエンティスト)を求めるようになったことです。この辺りは佐藤氏のエッセイを講評された佐藤文隆先生の解説でも指摘されています。
こうしてみると、科学者は何らかのパトロンや教育制度がないと生きていけないような錯覚を起こしますが、一方でパトロンの傘の下で進んできた科学が思わぬ所へ飛び火した例があります。本稿テーマでもある佐藤文隆先生の著書『職業としての科学』(岩波新書)から引用します。
十八世紀末から十九世紀初めにかけての西欧社会の文化動向を支配したロマン主義が、科学や技術の発見・発明と共鳴した時期の存在を見落としてはならない。パトロンから、新しい社会の表舞台に登場した市民層に科学が飛び火したのである。
ロマン主義科学は、科学上の新知識や行為を追究する人々を英雄視したり、自然の活力と科学の知識でつながろうとする思潮を生み出したことで、増加しつつあった“知識を生み出す人”たちの存在を大衆的に顕在化させた。(第2章「知的自由としての科学」より)
このロマン主義の時期に登場した代表的な科学者には、あのマイケル・ファラデー(1791~1867)がいます。このファラデーの例は、市民層から出た科学英雄譚としても現代の参考になるものがあると思いますのでその出自を少し紹介しておきます。
貧しい錠前屋の子として生まれたファラデーは製本屋の見習いとして働く中、本を読むことにも夢中になり、徐々に化学や電気に関することに興味をもちます。次第に読むだけでは満足せず、今度は薬品などを買ってきては実験をするようになり、そのうち、町で科学講話をしていたタタムという人の会にも参加しました。その会で聴き取ったメモを自分で製本し、教科書として使うほどの向学心です。あるとき、製本屋のお得意さんで学者のダンス先生に、主人がファラデーの製本したノートを見せたところ、そのことに感心して王立研究所(ロイヤル・インスティチューション)で行われていた講義の聴講券をファラデーに与えます。それによってファラデーは、王立研究所で行われていたハンフリー・デイヴィーの化学講義を聴きにいき、ここで初めて科学者(当時のファラデーは自然哲学者という名を愛好)として身を立てることを決意します。(この辺りが趣味としての科学からの変容になるところでしょうか。)この決意をファラデーは主人に相談します。そして主人は、ファラデーの聴講ノートをきれいにまとめ製本してデイヴィーに送ることを勧めました。ファラデーはデイヴィーに手紙と製本したノートを送り、それが功を奏してか面会がかないます。当時、科学者として生活するのは大変なことでしたので、デイヴィーはファラデーに製本屋をつづけることを最初は勧めますが、その後、助手のポストが空いたことでファラデーに声がかかり、念願のデイヴィーの助手につき、あのパフォーマンスの名手ファラデーの道がつくられたのです。(以上、細かい人間関係の紆余曲折は省いています。)
と、このように書けば夢のようなサクセス・ストーリーですが、その後この道を活かすことができたファラデーの学問的才能についてはまた後述したいと思います。ここでは、ファラデーに科学者になることを決意させたデイヴィーの講義について着目したいと思います。ファラデーのみならず一般民衆も魅了した当時の講義について、上で紹介した佐藤文隆先生の本には以下のように紹介されています。
ロマン主義の時代の特徴は、発見された知識・実験・広報が人物と分離されていないことである。頭角を現すには、自分の力で売り込んだりパフォーマンスをしなければならない。大衆のみる科学は、人物と一体になったものである。デイヴィーのレクチャーが評判をとったのは、彼の容貌やパフォーマンスの魅力にもあり、人々は、司祭の説教、シェークスピア役者の演技、音楽の演奏者などに対するのと同じ視線を向けていた。コールリッジ、キーツ、ワーズワースといった当代人気の詩人たちの賛辞も、このパフォーマンスを盛りたてた。そのまま大衆が研究のコストを負担するものではなかったが、この大衆の人気は、財力をもつパトロンたちの財政的支援に大きなインセンティブを与えた。
(第2章「知的自由としての科学」より)
筆者はこの文章を、ある人の新刊を読んでいて真っ先に思い出したのですが、それがテレビやラジオでも人気の五十嵐美樹先生の『わたし、サイエンスエンターテイナーになる!』(WAVE出版)でした。この本こそ、本稿の核心をつく科学職業論の要といってよいでしょう。もちろん現代はロマン主義社会でもありません。むしろそれ以上に成熟した社会と言えます。五十嵐先生が「サイエンスエンターテイナー」としてなさっているパフォーマンスと、そのための“知識・実験・広報”がご本人と一体となって、観客からの視線を集め、現在人気の有名人からも賛辞が送られるという点を見ても、まるで現代版デイヴィー&ファラデーです。
○「科学者」に新しい呼び名が必要な時代?
五十嵐先生の大きな功績の一つは、科学者の新たな職業を見つけ出したことです。「自分が何者であるかを伝えるために」考えに考え抜いて、「科学で感情が動くことを大事にし」「科学を表現して伝えたいメッセージを込めて」「サイエンス×エンターテイメント」すなわち「サイエンスエンターテイナーという肩書」を自ら創造したのです。19世紀にヒューエルが「サイエンティスト」という呼称を生み出したように、21世紀に五十嵐先生は「サイエンスエンターテイナー」という名称を生んだのです。ヒューエルは造語をつくっただけですが、五十嵐先生は職業も創り出している点が大きな違いです。このことは、科学以外の分野でもロールモデルになるべき話と思いますので、その背景となるご本人の言葉を紹介しておきます。
それまでの私は、限られた自分の知っている職業名を自分に当てはめようとしてきた。でも、私のやりたいことは、その仕事という箱になかなかすんなり収めることはできなかった。
でも、今の私は自分が「やりたいこと」「できること」そして自分に「求められること」の三つが重なるところを探し続ければ、それが仕事になっていく、ということを身をもって実験している最中なのだ。(2章「“ダンス”と“科学”は化学反応を起こすのか」より)
後進の人たちにこれほど勇気を与える言葉はないでしょう。理工系学部で学んでいる学生の皆さん、そして科学者の卵の皆さん、職業選択に迷ったら五十嵐先生を見てください。貴方にしかできない道がひょっとしたらあるかもしれません。上の言葉はそのためのメッセージです。
そして、筆者がさらに「サイエンスエンターテイナー」という職業に未来を感じているのは、この職業が舞台上で行われる“一回性”のショーだからです。録画した動画を見るならばもちろん何度でも視聴できますが、その場に来た市民の皆さんはその場でしか味わえない、いわば演劇と同じ鑑賞効果と醍醐味を味わうはずです。まして、未知の科学知識について不思議な現象と身近な実験道具を通して解説されたら、年齢の小さい青少年ほどそのパフォーマンスに魅了されるでしょう。かつてのデイヴィーを見たファラデーのように。だから、まるでロマン主義社会の再来と見まごうのです。
演劇におけるシナリオや戯曲の文体は、小説などの散文と比べて“舞踏性”があることを指摘したのは作家の三島由紀夫でした(『文章読本』中公文庫)。散文における文体が歩行のリズムならば、戯曲やシナリオのそれは踊りのリズムだというのです。だとすれば、舞台上でショーを演じる「サイエンスエンターテイメント」にも、“舞踏(ダンス)”が表現形態として合う可能性は十分にあり得ます。五十嵐先生の職業は文学表現論とも見事にマッチしているのです。
加えて最も重要なのは、上で言及した“一回性”という観点です。演劇は舞台上演によって直接的感覚的表現を与えられ、それは二度と全く同じ舞台は得られないのと同様に、「サイエンスエンターテイメント」も毎回毎回のショーが皆異なります。このことは平家物語などの口頭伝承時代の文学を想起させるものでもあり、さらに演劇では戯曲が、サイエンスショーでは科学解説本が、それぞれ印刷物として存在する点で、観客は読者にもなります。つまり、演劇やサイエンスショーには表現のすべての機能と要素が包含されていると言えます。ひいては、それが歴史における“古典化”の作用にも繋がっているという点で、科学史的観点からみても評価すべきコミュニケーション形態だと考えます。
科学史家の隠岐さやか先生は、科学の今後のあり方として“人と人との交流(マッチング)”が鍵を握っており、例えば地域住民と交流するような“シチズン・サイエンス”などを挙げられています(『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海社新書)。五十嵐先生が全国各地のショッピングモールや人が集まる場所でサイエンスショーを行っていることは、その実践の一つと言えるのではないかと思います。また、隠岐先生が同書で指摘されている“進路選択におけるジェンダー観”に対しても、五十嵐先生の見いだした「サイエンスエンターテイナー」というあり方は大きく影響を与えるはずです。五十嵐先生の本には理系女性を支援する様々な機関の紹介などもありますので、その点でも大いに参考になるでしょう。
ここまで、科学者(サイエンティスト)のあり方について概観してきましたが、もはや教員や研究者という枠にとらわれなくとも“科学者”としての道を見つけ出せそうな輪郭は朧気ながら見えてきたように思います。では、科学者として必要なもの――身につけるべき学問と教育――はどのように捉えていくべきでしょうか。五十嵐先生の場合、「サイエンスエンターテイナー」に必要と思われる“科学を伝える方法”として「科学コミュニケーション」を大学院で学ばれています。そこで、学問と教育について考えてみたいと思います。
○学問としての科学とその教育について
佐藤氏のエッセイで示唆された、「研究と勉強」「仕事と趣味」「プロとアマ」の境界が解消されて、科学研究のスタイルに変化が起きるのではないかという話をもう一度考えてみます。例えば上で紹介した五十嵐先生の場合、好きなダンスと科学を仕事にしている点で3つの境界は限りなく薄らいでいることがわかります。(細かい点でみれば、どれくらいその境界らしきものを感じているかはご本人に聞いてみないとわかりませんが。)そのような立場を創造することができた経緯は、上で紹介した五十嵐先生の本を読めば理解できます。が、先生ご本人もその道を見つけるまで、科学に目覚めた中学時代から数えて15年以上も模索し続けています。そうそう容易なことではありません。しかし、打開点は学びと教育に根ざしていることは、この本を読むことでわかります。では、本来あるべき“科学を学ぶことと教育”とはどのようなものなのか、アインシュタインの言葉をいくつか引きながら考えてみます。
- 我々の目標は、独立に活動し、独立に思索する諸個人を育てることにあるべきです。
- 教育のもっとも重要な方法は、いつの場合にも、生徒に実際にやってみよう、という気持ちを起こさせる方法だったのです。
- 動機には最大の雑多性があって、学校の教育的価値にとっては、それはきわめて重要なことです。
- 教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に、残っているところのものである。
- つねに首位に置かれるべきものは、特殊な知識の習得ではなく、独立に思索し判断する一般的能力を発展させることなのです。
(『晩年に想う』中村誠太郎・南部陽一郎・市井三郎訳、「教育について」より)
こうしてみると、佐藤氏がエッセイで主張していた独学に基づいた大学教育のあり方への提言は、アインシュタインの主張と近いものも感じられます。また、五十嵐先生の職業のあり方にも同様の背景がうかがえるでしょう。このアインシュタインの言葉と共通することを指摘していたのが寺田寅彦です。
Faradayのやうな人間が最も必要である。大学が事柄を教へる処でなく、学問の仕方を教へ学問の興味を起させる処であればよい、本当の勉強は卒業後である。歩き方さへ教へてやれば卒業後に銘々の行き度い処へ行く、歩く事を教へないで無闇に重荷ばかり負はせて学生をおしつぶしてしまふは宜しくない。
(大正15年3月(日付不明)日記より)
そしてそのファラデー本人は実際にどうだったかを見ると、その研究態度や自然と向き合う姿勢に感銘を打たれるものがあります。矢島祐利著『ファラデー』(岩波新書)から紹介します。
ファラデーがどんなに発見の名人であっても、予想通りにばかり行っている筈がない。またそうばかり行ったとすれば寧ろ不思議であろう。実際はファラデーと雖も失敗している実験がかなり沢山あるのである。現にそれは彼の研究報告の中に隠さずに記録されているのである。ただ後世のわれわれは特に失敗した実験について彼是言うことは余り意味がないので、今日の科学に大きな影響を与えたような成功の例をファラデーの仕事として話しているのである。そうして、此の事は天才の仕事というのも一面に於てそれは努力の集まりであるということを裏書きしているのである。ファラデーはうまい結果が出ないと手を変え品を変えて実験を繰返している。結晶の磁気の場合にもそうであった。重力と電気の場合にもそうである。
又、ファラデーの実験の仕方を見ると、何時も或る予想を以て実験している。予想と言うよりも寧ろ確信を以て実験を進めている場合が屡々ある。(中略)そういう予想が必ずしも常に事実に依って証明されるとは限らない。然し、そういう予想というものは研究を引張って行くものである。研究心を沸き立たせるものである。そういう意味で予期に反した結果に到達した場合でも、初めの其の誤っていた予想は実は新しい発見の母であった訳である。ファラデーに於ては此の予想、或いは他の言葉で言えば、スペキュレーションとかファンタジーとかいうものが非常に豊富であった。そういう豊富な自然界の事実に対する予想というものは何から生れるかといえば、天賦の才能に負うところは勿論多いに相違ないけれども、一面に於ては自然に対する深い愛から生れるものではないかと思う。自然の事を深く考えるところから生れて来るであろうと思われる。
アインシュタインの言う“独立に思索する”人間、寺田寅彦の言う“学問の仕方”を知る人間、その最たるモデルを見るような人物像です。その“歩き方”の根底には、科学者として最も必要な“自然への愛”があったということ。ここには勉強と研究の境界はありません。そう考えると、佐藤氏の主張は“独学する精神”にこそ鍵があるように思います。その精神の動機にはアインシュタインのいう“雑多性”があってよいでしょうけれど、こと科学においてはその根本に“自然への向き合い方”が問われることは、このファラデーの例のとおりです。何らかの科学知識を学問としてただ独学していたい、だけでは真の科学研究との境界は無くならないでしょう。自然への向き合い方とは、すなわち科学者としての歩き方です。その歩くことさえ忘れてしまっては、自然も何も見えていないも同然です。そこに科学の独学を説いても、科学者(サイエンティスト)としての像は定かでないはずです。ここで見たファラデーの自然への愛にも近い感情(いわばセンス・オブ・ワンダー)は、詩人にも共通するものと思います。
○未来の科学者像とは
上で引用した佐藤文隆先生の著書では、後半に「素人の科学」について考察しています。そこに提示されている例には、純粋な科学研究のほかにも科学技術や情報処理に関連したエンジニアに近い姿も見てとれます。いくつか例を紹介してみると、
- (データマイニング)
宇宙天気予報における太陽活動と地磁気の観測情報の処理、タンパク質の折りたたみ問題、道路の交通量解析、株価の変動データ分析、ゲノム分析やRNAシークエンスなど- (自然観察)
天体観測における超新星や彗星探し、地球の気象現象、宇宙線、ビオトープ、野生動物生態など
が挙げられており、これらは情報通信インフラや機器の普及によって、十分に一般市民の間でも参加可能な研究領域であると言います。近年でいえばAI関連も入るでしょう。これらの例のうち、現況でいくつが一般市民の間で共有されるようになっているかはわかりませんが、データマイニングに関わるものはセキュリティの問題も環境整備する必要がありそうです。
結果的に、現段階で最も理想的な形で「プロとアマ」「仕事と趣味」「研究と勉強」の境界を解消しているのは「サイエンスエンターテイナー」なのではないか、と筆者は考えます。むしろこの五十嵐先生のあり方をロールモデルとして、上で掲げられたような研究領域を職業化した“新しいサイエンティストの呼び名(肩書き)”を見いだすことができるとよいのかもしれません。そのためには、上に挙げたアインシュタインや寺田寅彦の言葉にあるように“個”として“歩いて”いける業態が鍵になるでしょう。決してそれは組織や集団ではないと思います。
五十嵐先生の業態が19世紀イギリスのロマン主義社会と似ていたことを考えれば、日本での江戸時代の分業体制で成り立っていたような業態を参考にするのもありかもしれません(例えば平賀源内のような多くの肩書きをもつ多様な仕事人的あり方など?)。江戸時代のほうが現代社会よりボランティア精神が進んでいたことは、田中優子氏の著書などでも指摘されており(『未来のための江戸学』小学館101新書)、今後の日本がこうした社会を奨励すべきなのは上の柿内氏の文章をみても歴然です。
ここまでの議論は畢竟、佐藤氏のエッセイによる提言がなければ始まらなかったことであり、かつ五十嵐先生の著書と活動がなければ新たなヒントも見いだせませんでした。そして労働論についてお知恵を借りた柿内氏と三宅氏のお陰もあります。本稿の主題を助けていただいた4人全員が平成生まれであるという事実を再確認しつつ、そのことに明るい未来を託して、佐藤文隆先生の著書の言葉で擱筆とします。
過去半世紀の、研究をめぐる環境変化の奔流の中、研究者はゴールを自分の生涯に合わせて考える習性に囚われている。しかし、歴史をみれば明らかだが、つねに新しい世代が思わぬ展開を拓くのである。だから受け継ぐべきは学説ではなく、精神なのである。