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学者と表現――プランクにみる例

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学者と表現――プランクにみる例

物理学者の中には熱力学的方法が好きな人とそうでない人があると言われますが、前者としてはプランクやアインシュタイン、ランダウ、フェルミなどはその筆頭に挙げられるかと思います。熱力学は歴史的にも量子の導入の糸口になったという点で、その概念や方法が後の量子力学や他の理論における先鞭となる面を多く含んでいたとも言えるでしょう。朝永振一郎の最後の著作『物理学とは何だろうか』(岩波新書)では、熱統計力学の歴史の解説にその多くが割かれていることも特徴的です。

熱力学はホモ・ファベル(homo faber)的という特徴がありますが、言い換えれば技術的・機械的な思想の中で概念や法則が形成され認識されていったと思われます。道具を作ったり使う立場にある人間が自然界にどのように対峙するかという点で、熱力学は操作的であり、それゆえ思考実験と相性がよく、古典力学よりも量子力学と調和します。

そういう意味では、冒頭に挙げた一人であるプランクの熱力学へのこだわりは歴史を大きく変えました。クラウジウスに傾倒し、熱力学的に自然現象を体系立てて捉えようとしていたことはその評伝や関連書からよく知られていますが、一方で当時ボルツマンによって進められていた分子運動論を、最初はなかなか受け入れようとしなかったことも有名です。

では、なぜそのようなプランクがエネルギー量子を生み出すことになったのか、それを人物と表現という視点で湯川秀樹と小林秀雄が対談で触れているので紹介したいと思います。

この対談は「人間の進歩について」と題され、1948年8月に行われました。当時、湯川先生は42歳、小林氏は46歳。この翌年、湯川先生はノーベル物理学賞を受賞します。物理学と文学の天才どうしが語り合った濃密な時間は、今にして思えば予言的であったし、小林氏の鋭い質問の数々は現代においても示唆的です。対談の出典は『科学と人間のゆくえ 湯川秀樹対談集Ⅱ』(講談社文庫、昭和56年)です(本文末に目次)。

対談は、精神と物質という二元論に関連して自由意志を論じる所から始まっているのですが、小林氏がエントロピー原理と人間の認識などに非常に興味を示していたことも面白い所です。話はそこから科学者と芸術家における観測の道具といった内容に移っていきながら、「生活と作品」というくだりでプランクに関する話題が言及されます。

湯川:このごろは作家の気持が作品の上で非常に自然に満たされてしまっているというような感じがしますけれども……。
小林:どうも私は……大作家というものを見ていると、その実生活と彼らの大きい、広い意味での思想生活というものは連続していない。連続していないということは、非常に深い意味ではむろん関連がなければならない。なければ空疎です。あるのです。けれども要するに実生活というものを大体みな卒業したというのは実生活に勝った人です。勝たなければ表現というものは成り立たぬ、そういう人です。もっとひらたい言葉でいうと、とにかくこの世の中に人間並に生きているだけでは足りなくなって、足りないから表現があるのですが、ただ、足りないでは足りなくて表現するわけにいかないから、実生活をほんとうに意識的に征服する。征服して一つ飛び上ってしまう。そこに表現の世界があって、彼というほんとうの人間がもう一度そこへ現われてくる……。
 けれども弱い作家というのはみな生活の方が進んでいるのです。それを追いかけているのです。それを乗り越す気魄もなければ精神力もない。だからたいがい生活の方が強力ですよ。
湯川:なるほど、面白い説ですね。
小林:表現の方が駄目なんです。だからもっと平凡な言葉でいうと、大体作家に会って、その作品よりも人間の方が面白い。たくさんのものを表現している。これは普通のことですけれども、作品を見れば人間なんかもう会いたくないというところまで来ている作家は大作家ですね。それは会ってみたいけれども……たとえばドストエフスキーというような人、あれは会ったって何もなりゃせんですよ。
湯川:よくわかる。
小林:カラマゾフなんて、あんな大表現をあの人は日常生活にしていますか……? しちゃいませんよ。けれどもたいがい日本の作家というのは、人間の方が非常に面白いです。
湯川:それは学者でもそういうことはあります。先ほどのプランクという人ですが……この人は20世紀の物理学革命を惹き起した人、それほどの大仕事をした人で、非常に偉い学者には違いないが、仕事の方がもう一つ上なのです。アインシュタインは人物も大きいし仕事も大きいからどっちとも言えませんが、プランクという人については明瞭に仕事の方が大きい。
 19世紀ではそれよりちょっと先輩で、ボルツマンという学者があります。むしろこの人の方が量子論を発見してもよかったと思われるのですが、その近くまではきたがとうとうそこまではいきつかなかった。プランクという人は人格的にもりっぱな、円満な人ですけれども、しかしそれほどの画期的な発見をしそうな傾向の人ではないように感ぜられます。そこが科学史的にも大変面白い所ですね。このボルツマンという学者は、先ほどからお話があった確率とか統計とかいう概念を物理学に採り入れる方面で、徹底的に研究した人です。ところが、ボルツマンは1906年に自殺した。自殺の原因は、家庭的な事情もあるが、ともかく学問上の行詰りもあったと言われている。行詰って自殺するくらい徹底的に研究した非常な大学者です。普通に考えればこの人の方が大発見をやりそうな境遇にあったのですが、事実は逆になっていますね。これも単に偶然といってしまえば偶然ですが、そこに何か表現に現れていない微妙なことがあるように思いますね。
小林:表現という問題は考えてくるとそういうものに達するようですね。ぼくは日本にある伝統的な私小説、あれは非常に素朴な経験主義なのですが、つまり実生活の笑いそのままが小説の笑いとなる。涙もそのまま涙となる。そこに細かい芸当はありますけれども……ぼくがああいうものに疑いを抱いたのは、ずっと若い頃でしたけれども。両方は呑気に考えるほど連続しているものじゃない。よく考えてみると、溝があって、その人の生活をどんなに調べても表現に達することはできない。何か飛び越しています。人間はどうせ死ぬものなんだし、実生活というものはどうしたって肉体的なものがあって、そういうはかないものです。

ここでの小林氏の言説は、「作家の顔」や「思想と実生活」などを読むとより深く理解できると思います。この湯川・小林対談は他にも取り上げたい話題が多く散見されますが、参考までに目次と概要だけでも下記しておきます。

・二つの世界
→確率やエントロピー、自由意志など認識論について
・芸術家と科学者
→観測と道具、言葉と道具、歴史のトートロジーなど
・生活と作品
→学者と生活と表現、創造性の時間順序、精神と物性、言葉と習練
・直覚について
→創造性と習練、混沌を追い続けること、作家のタイプ、創造性を発揮する時期、原子力について
・人間対神
→原子核の問題とモラル、小林秀雄の危惧と予見、技術と平和
・法則と信仰
→確率と法則の世界
・教育について
→個性と教養論、大学の問題
・予定調和ということ
→時間の問題、観測の問題、ベルクソンと時間の向き、パスカルとライプニッツ、哲学史論
・進歩について
→科学の枠と進歩の定義、科学の未来予想
・エントロピー原理とは
→観測と順序、熱力学と非平衡問題
・人間的原理
→理性と現実
・湯川粒子
→中間子について、エントロピー、エーテル等々

さて、上で湯川先生が言及したプランクの人物像ですが、自伝エッセイ『旅人』でも、学生時代にプランクの『力学』と出会い、その透徹した論理と叙述に「ますますプランクが好きになり、量子論にも余計に魅力を感じるようになった」という湯川先生は、昭和14年に欧州へ訪問した際、プランク先生にお目にかかるべくベルリン大学に立ち寄りました。ところが、時代は第2次世界大戦へと進む入り口にさしかかっており、その機会が奪われてしまったことを湯川先生は上掲書で「かえすがえすも残念なことである」と回想しています。そこで、寺田寅彦がドイツ留学時代を振り返って書いた「ベルリン大学(一九〇九―一九一〇)」という随筆の中で、プランク先生の生の講義を受けたときの印象を描いているくだりがあるので下記します。

プランクの講義も言葉が明晰で爽やかで聞取りやすい方であった。第一回の講義の始めに、人間本位の立場から物理学を解放すべきことや物理的世界像の単一性などに関する先生の哲学の一とくさりを聞かせた。綺麗に禿げ上がった広い額が眼について離れなかった。黒板へ書いている数式が間違ったりすると学生が靴底でしゃりしゃりと床をこするので教場内に不思議な雑音が湧き上がる。すると先生は「ア、違いましたか」と云って少しまごつく。学生の一人が何か云う。「御免なさい」と云ってそれを修正する。その先生の態度がいかにも無邪気で、ちっとも威張らず気取らないのが実に愉快で胸がすくようであった。

というように、湯川先生が「人格的にも立派な円満な人」と評したとおり、寅彦先生が見ても同様の人物像であったことが見てとれます。プランクは敬虔なルーテル派のキリスト教信者でもあり、晩年はその伝道の講演をして回ったことからもその人格の一端がうかがえます。その上で改めて小林氏の指摘を考えてみると、プランクが表現したところの学問と生活(人格)というものが微妙な輪郭で浮かび上がってきます。このことを、プランクの『熱輻射講義』を訳された西尾成子先生が「訳者あとがき」(岩波文庫)で書かれていますので下記します。

プランクは、普遍定数h(彼が呼ぶところの「作用要素」。本書§149参照)を理論に導入するに際しては、可能なかぎり保守的に行なうべきとの立場にたつ。そのうえで、原子的な系におけるエネルギーの放出・吸収は、放出過程のみが不連続的であり、吸収過程は従来どおり連続的であるとの考え方にもとづき、自身の理論の実質的な修正を表明している(1913年刊行の本書第2版は、その修正理論をもとに改訂されている)。この修正理論はいわば古典物理学との接合案で、この時点においてもなお、プランクは「不連続性」に対して一定の留保を付けずにいられなかったことがわかる。
 じつにプランクらしい慎重な態度だが、そうした保守的かつ慎重な研究者が、期せずして物理学に一大変革をもたらす契機を生み出したことに、科学という営みの妙味を感じるのは訳者だけではあるまい。

いかがでしょうか。湯川先生が上の対談で指摘していた事を、この西尾先生のあとがきは別の形で示しています。一見すると「画期的な発見をしそうな傾向の人ではない」と見られたプランクですが、小林氏の言葉を借りれば「その仕事のほうが生活を征服していた」とも言えるでしょう。実際に本人を見た寅彦先生も、「無邪気で、ちっとも威張らず気取らない」と書いているように、学者が学問において表現するということの背景には、どうも作家とある種似たような微妙なものがあるのかもしれません。人間よりも仕事のほうが上回ってしまう、実際に本人に会ってみるとその素朴さに感心してしまうほど、そのくらい仕事の風格が人物を超えてしまうということでしょうか。その点、アインシュタインは別格になるわけですが…。

ここで西尾先生が仰っているプランクの保守性と、それがエネルギー量子という物理の大革命に結びついた事について考えてみます。革命というのは、いつの世も時代の記憶に刻まれるほど強烈な熱気をもって現れるものですが、ことプランクの例にあっては、革命と保守というものがいかにも相反するようで、そこが不思議な点でもあり魅力でもあると思います。

ここからは筆者の私見になりますので軽く読み流していただけたら幸いです。易経には革命を表す「澤火革(たくかかく)」という卦がありますが、順番でいくとその前に「水風井(すいふうせい)」という自己を掘り下げることを意味する卦があります。井道(保守)あって後、革道(革命)ありという順序立てになっており、深く掘り下げることなしに物事は革新できないという意味も読み取れます。この易経の例を踏まえると、プランクの慎重さとその人物像は誠に至妙であり教訓的です。

この教訓をもとにすると、学問の観念であったり概念が革新的となるには、石橋を叩いても渡らないくらい、それ相応の堅実で保守的な態度で臨む研究者がいなければ容易には結実しないとも言えます。徒に新しい理論を提唱したり、新概念を唱えているだけでは、真の革命的発見に至ることは難しいと考えねばならないのでしょう。それには歴史を学び、先人をよく知ることが先決と思います。

蛇足になりますが、この「澤火革」という卦を陰陽すべて逆にした場合どうなるか、つまり革命が裏目に出た場合どうなるかを考えると、「山水蒙(さんすいもう)」という、蔓草がはびこって物事を蔽ってしまう蒙昧を意味する卦になります。革命は失敗すると却って蒙昧になるという教示になります。言い換えれば、未開発の蒙昧な状態というのは、それだけ正しい教育と徳を身につけることで革命にも繋がり得るという意味でもあり、それには上に書いたとおり「水風井」による弛まぬ自己開発(啓蒙:蒙を啓くこと)が必要です。

学問における保守とは何なのか、革命とは何なのか、量子論の生みの親であるプランクの例は、学者(人格)と仕事(表現)という意味においても、後世に一つのロールモデルを残しているのではないでしょうか。


【補足】上記に挙げた湯川先生の対談集『科学と人間のゆくえ 湯川秀樹対談集Ⅱ』は錚々たる顔ぶれとなっていますので、目次を参考までに下記しておきます。

人間の進歩について (対)小林秀雄
今日のヒューマニズム (対)広津和郎
日本人の伝統と文化 (対)井上靖
学問と人間 (対)大河内一男
科学と人間の未来 (座)芦田穰治・渡辺格・大川節夫
古代史の周辺 (対)上田正昭
科学と価値 (対)江上不二夫
幼児の精神発達と創造性 (対)市川亀久彌
科学と文化 (対)梅棹忠夫
進歩の思想について (対)桑原武夫
よもやま話 (鼎)朝永振一郎・山崎文男
無駄と減速 (対)市川亀久彌
科学と芸術 (対)加藤周一
地球・人類の未来のために (対)大来佐武郎

 

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