第14回「ハイゼンベルクのピアノ演奏」の後日談
音楽談話室(十四)では量子力学の始祖の一人ハイゼンベルクがモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調の独奏ピアノを受け持ち、その演奏をLPレコードに残していた話を書いた。彼が第1楽章で弾いたカデンツァ[下注]はベートーヴェン作曲とすぐにわかったが、第3楽章のカデンツァは誰の作曲かわからなかった。すぐ捜索を始めたがそれは困難を極めた。数多くの音源を探した結果、ただ一人エトヴィン・フィッシャーが同じカデンツァを弾いているのを見つけた。これだけではフィッシャー以外の人の手になるカデンツァをフィッシャーが選んで弾いた可能性を捨て切れないが、さらに探すうちに、「Cadenza by E. Fischer」と書かれているのを見つけ、ゆるぎないことを確認した。これで決着はついたのだが、私としては当然楽譜も欲しくて注文した。しかし絶版になっており、文京区のAcademiaと鎌倉のカマクラムジカでさえ入手できなかった。この2つで入手できなければ一筋縄ではいかないことは、半世紀以上にわたる楽譜購入の経験が語るところである。
ところがである。私の記事を日本の誇るレーザー物理・分光学の権威である矢島達夫先生が読まれて、京都のPanaMusicaという店のウェブカタログにあることを教えてくださったのだ。折りしも新型コロナウィルスのために、やれウェブ会議だ、やれオンライン授業だと振り回されて身動きがとれなかったのだが、ある朝ふと思い立って注文したところ、翌日に届いたのである!
第14号にも書いたが、エトヴィン・フィッシャーのカデンツァは決して表面的な技巧の見せつけでなく、高揚する精神の嵐と無伴奏単旋律による独白が織りなす芸術品であり、これはモーツァルトの原曲の高みを助けこそすれ、決して傷つけることのないカデンツァになっている。そのような音楽がどんな風に楽譜に描かれているか、この目で確認することができたことを、ここに後日談として報告する次第である。
[注:カデンツァについて]
協奏曲はピアノやヴァイオリンなどの名人とオーケストラが協奏する楽曲であるが、ところどころにオーケストラが手を休め、独奏者が名人芸を披露するカデンツァと呼ばれる箇所がある。これは元々独奏者が即興で演奏するものだったが、大作曲家の手になる協奏曲本体に比べて即興演奏は派手なだけで音楽性はむしろ傷つけがちだったため、自分の即興でなく作曲に長けた他人の手になるカデンツァを採用する演奏者が増えた。たとえばモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調のような名曲になると古今あまたのピアニスト作曲家がカデンツァを残しているが、当時から現代まで最も人気があるカデンツァはベートーヴェン作曲のものである。