科学随想の歴史を伝承し、文理の壁を取り払う

思考と文体――科学随筆から考える文章論

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思考と文体――科学随筆から考える文章論

昨年(2022年)、若者の間で短歌がブームであるというニュースを見たのですが、その一方で最近では随筆・エッセイも注目されているようです。それらの新刊書が書店に平積みされているのを見かけた方も多いのではないかと思います。ジャンルの多くは文芸になりますが、日記形式(宮崎智之著『モヤモヤの日々』晶文社)や紀行形式(わかしょ文庫著『うろん紀行』代わりに読む人)など書き手も表現方法も多彩で、その注目されている背景には、言葉に対する何らかの変革を求める機運も感じます。日本では、『枕草子』『方丈記』『徒然草』という三大随筆が古くから読み継がれてきました。小誌第15号でも、島内裕子先生に古典随筆の世界を寺田寅彦作品と交えて案内していただきました。そこで本稿では、小誌の魂ともいえる科学随筆を通して、日本の文章について考えてみたいと思います。

小誌は物理系科学者の書いた随筆や評論、歴史譚を掲載する雑誌ということで、文学研究者のコラムや随筆、解説記事も織り交ぜながら、これまで硬軟さまざまな文章を取り上げてきました。そこから明らかなことは、科学随筆には文学のそれとは異なる要素が求められているということです。当り前な事ですが、科学論文やレポートのようなものならば、例えば木下是雄著『理科系の作文技術』(中公新書)などを読めば技術的な問題はある程度は解決するでしょう。ここで考えたいのは、文章の質であったり、叙述についてです。これに関して、科学随筆の代表ともいえる湯川秀樹と寺田寅彦の書いたものからヒントを拾ってみたいと思います。

○科学随筆と思索の型

まず、湯川先生は「科学者の随筆」という文章の中で、「私はかねがねから、科学者の随筆は――自分が書くものも、もちろんふくめて――どこか食いたりないところがあると感じていた」として、その理由を語っています。一つは、科学者の文章に対して内容の新鮮味も含めた詳細な叙述を求めてしまうこと、もう一つは、科学における文章は、文学のように巧妙な表現(レトリック)ができにくいこと。前者は、自身が科学者であることに起因しており、内容に知らない知識があればその子細を(単なる説明ではなく)文章の叙述に求めてしまうようです。後者は、自ら和歌を詠まれ、古典に親しまれていただけに、文学におけるコクのある文章構造と比較して、科学随筆でそのような文章を書くことは困難であろうという観点です。概して、「科学者は結局、食いたりなくても、できるだけ簡明な文章を書くことに努力するほかないであろう」という結論で締め括られています。

確かに湯川先生の仰るように、科学随筆に小説のようなレトリックの粋を散りばめ尽くしても、まるでフロックコートに下駄を履いたようなチグハグした印象を与えるでしょう。一方で、科学随筆というからには、趣向を凝らした図解や説明で読み手を納得させるというよりは、純粋な文章の叙述によって読み手を理解に導く必要があります。畢竟、簡明な文章を書くことが最善の方法であり、それゆえに書き手の自家薬籠中の真髄しか、読み手を味得させる叙述になり得ないのだと思います。これと同様な話を寅彦先生は以下のように書かれています。

中学生時代に作文を作らされた頃は、文章というものが内容を離れて存在するものと思っていた。それで懸命にいわゆる美文を暗唱したりしたが、そういう錯覚は年とともに消滅してしまった。修辞法は器械の減摩油のような役目はするが、器械がなくては仕事は出来ないのである。世阿弥の能楽に関する著書など、いわゆる文章としてはずいぶん奇妙なものであるが、しかしまた実に天下一品の名文だと思うのである。
 それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさないただの言葉であるとも云われよう。
 若い学生などからよく、どうしたら文章がうまくなれるか、という質問を受けることがある。そういう場合に、自分はいつも以上のような答をするのである。何度繰返して読んでみても、何を云うつもりなのかほとんど分からないような論文中の一節があれば、それは実はやはり書いた人にもよく解かっていない、条理混雑した欠陥の所在を標示するのが通例である。これと反対に、読んでおのずから胸の透くような箇所があれば、それはきっと著者の本当に骨髄に徹するように会得したことを何の苦もなく書き流したところなのである。

(寺田寅彦「科学と文学 文章と科学」より)

つまり、科学者が会得した自身の思想を表現する叙述の仕方に、両先生の指摘している要所があると考えます。これは言い換えれば思考と文体に関係することで、文学における文体論も参考になるのではないかと思われます。これについて、湯川先生が哲学者の谷川徹三氏(谷川俊太郎氏の父)と「思索について」という対談(1967年11月)で触れている話を紹介します。

湯川:(前略)言葉というものは、客観性をもっているものであると同時に、いつも使う人の主体性の裏づけが必要ですね。ところが使う人の語学力が低いと、言葉自身が非常に舌足らずで、十分その意味がわからないようなものになってきます。これは、よそから見ておかしいとか、その人の言うことを聞いてよく分からぬというだけでなしに、ご当人としても自分の言いたいことを的確に筋道立てて表現することができなくなっており、そのため結局、思索ができなくなっているのではないかということがあるように感じます。極端な言い方をすれば……。
谷川:大体言葉というものは、言葉自身がある考え方の帰結であったり結晶であったり、凝縮であったりしますから、その言葉自身をしっかり自分のものとしていれば、それはすでに一つの思想をもっているということが言えるのです。そういう点で、言葉というものはものを考えるということと非常に密接な関係をもっておる。
 ことに漢語というものは、そういう機能を非常に強力に備えていたわけです。そこにまた漢語の欠点もあったのですけれども。というのは、それを本当に自分のものとしないで、儒教における仁義礼智信というように、それを一つのドグマとして、それを口にしていれば、いつでもそれでもって済んでいることがあって。実際においては、仁義礼智信というような言葉は一々の言葉の中に非常に複雑な思想を含んでいるのですよ。そういう言葉が社会生活の中から生まれてきた根源、あるいはそういう言葉を一つの思想として取りあげた過程を探れば、これは、それだけで、一つの思想がどういうふうに生まれてきたかという歴史を跡づけることになるわけで、そういうふうにすれば、言葉を知ることが一つの思想を自分のものにすることになるのですけれどね。・・・
湯川:いまおっしゃったように、もやもやとした考えが結晶するとか、凝縮するとかいうことを、文章として作ってゆく過程としていえば、昔の人はよく推敲をかさねることをしましたね。だから、手紙一つ書くのでも、昔の人はそれが残っても恥ずかしくないものとして書いている。なかなかりっぱな手紙が多いですね。
 (中略)この文章を練るというようなことは、また思索の一つの手段というか、助けになるわけですね。・・・
谷川:候文という昔の手紙の形式ね、これは考えてみるとなかなか深い知恵があったのですね。(中略)昔の言葉の中には何か思想の骨格をつくるエッセンスというようなものが皆あったので、そういうものによって自分の思想もまたしっかりした骨格をもったものとして練り上げることができたわけですね。・・・
湯川:(前略)もともと日本語というものは、非常に漢語が多くて、いまから見ると漢語口調でわかりにくい。現代の若い人がものを考えようとするならば、思索しようと思うなら、それに適当した文体というものを作り上げねばならないのではないか。要するに本当の現代日本語、そういうものがまだできていないという見方もできますね。
谷川:そう、これは口語文というものは大体明治20年前後にやっとああいう形ができてきたのだから、まだ100年にならない。だから、口語文そのものがまだ十分に文体としての様式を一般的にいえば持っていないとも言える。・・・
湯川:(前略)漢文口調をやめて、思想を口語的に表現するといっても、その表現方法が確立してないという感じがしますね。

(「表現様式の未確立な口語文」より)

この対談で言わんとしていることも、上の寅彦先生の言葉を借りれば、「著者の本当に骨髄に徹するように会得したこと」が重要になるでしょう。谷川氏はそのヒントとして、漢語に見られるような思想の骨格をベースに自身の思想を育てていった先人たちの例を挙げていますが、一方で湯川先生は、現代の若い人がものを考えるための「本当の現代日本語」が必要だと指摘しています。この両先生の対談の本質を見事に熟知していたのが作家の丸谷才一です。丸谷氏は『文章読本』の中で、「思つたとほりに書け」というテーマで以下のような話を書かれています。

書くにふさはしいやうにあらかじめ心に思ふ思ひ方がある。これもまた、極意でも奥義でもなく、当り前の話にすぎないけれど、文章の型を学び、身につけ、その型に合せて思ふことがそれである。すなはち一切は、前章で述べた、名文を読めといふ心得に帰着するだらう。

(「ちよつと気取つて書け」より)

ここで丸谷氏がいう名文というのは古典などの文学作品を指しているわけですが、科学随筆に当てはめて考えるならば、例えば寅彦先生が科学的思索の型として挙げているルクレチウスや、湯川先生でいえば荘子などはそれぞれ詩や文章としても味わい深いものがあり、両先生の科学随筆の源流の一つといってよいと思います。ついでに言えば、寅彦先生はルクレチウスを英訳から読んでおり、他の科学に関する名著なども英訳ないし独訳や仏訳で多くを読まれていましたので、科学的思索の型を学ぶ一つのヒントになるかもしれません。この理由については後述します。

○日本語の本質

そして、上の対談で話題に上がった口語文についても、丸谷氏は以下のように述べています。

本当のことを言へば、漱石や芥川が悩んでゐたのは、当時の口語体の未成熟といふことであり、さらにはその口語体と話し言葉(殊に下町のそれ)とのあひだに厖大な距離があるせいで、文章がとかく現実から遊離しがちで、自由な息づかひを失ひがちだといふことであり、また、そのことを逆の方向から見れば、当時の話し言葉が充分に発達してゐないため、それを土台にしたのでは近代文体を作りにくいといふことであつたらう。そしてこれらの問題の根柢には、大正の社会と西欧的近代小説とのはなはだしい乖離といふ条件があつたに相違ない。
 そのときに志賀は、漱石や芥川の目ざす西欧ふうの小説からいくぶん離れた性格の小説を書くことで、大正の社会との調和をはかつた。これはいちおう感心すればいい程度の工夫かもしれない。しかし驚くに価するのは、その小説の方法と正確に見合ふ新しい文体を創造したことである。ほとんど天才の偉業と言つてよからう。それは古風な言ひまはしを避け、むづかしい語彙をしりぞけ、装飾的な要素を排したもので、即物的な描写に適してゐた。とりわけ、日常性をすこぶる重んじながらしかも簡潔であり、気品の高いことをその最大の特徴とする。それは、ちようど大正文明が近代的であると同じ程度に近代的な文体であつた。当然のことである。近代日本ブルジョアジーの代表である東京山の手の上流家庭、つまり志賀の生家の話し言葉を基本として作られたものなのだから。

この志賀直哉への評価は、谷崎潤一郎の『文章読本』でも名文体の筆頭として掲げられ、『城の崎にて』における死んだ蜂の描写が例に挙げられています。谷崎氏の評価が丸谷氏と似て非なるのは、志賀直哉の文章には「漢文のもつ堅さと、厚みと、充実味とを、口語体に移した」東洋的な面があることを捉えている点です。そういう意味では、上の湯川・谷川対談での漢語の例も看過できません。

湯川先生は別の随筆作品「古典と私」の中で、「私は漢文を日本語として読み下してゆくプロセスがどんなものであったかにも興味を持っている」と書いているのですが、このことを別の視点から指摘しているのが『思考の整理学』で知られる外山滋比古氏です。「私は寺田学校の生徒であった」というほど寺田寅彦作品に親炙してきた人ですが、その外山氏は、漢文が日本に入ってきたとき、日本人は“翻訳”をせず、原文を使って返り点をうち、語順の交換だけをして読み下す“半翻訳”という道を選んだと言います(『日本の文章』)。そして、時にその半翻訳の悪い癖が、欧米語の翻訳でも見え隠れすることがあると洞察しているのは、英語教育でも知られた慧眼を感じさせます。同書では、外山氏は短い散文の練習として、漢文のリズムが参考になるとも書いています。

○新しい日本語の文体は必要か?

さらに、上の湯川先生のいう「本当の現代日本語」という話に対応するものとして、外山氏は新しい文体の舞台にメディアを挙げ、その世代間でのある特徴に目をつけているのが興味深いです。

新しいメディアが生まれる前の世代の方が新しいメディアへの没頭がはげしく、しかも長続きするという傾向がみられる。
(中略)
テレビ世代は文章についても、戦前派とは違った感覚をもっている。聴覚的文体ともいうべきもので、そういう新しいスタイルを創り出していく場としては、けだし、週刊誌はうってつけの舞台であろう。新文体の創造に成功したとき週刊誌文化は広く読者の尊敬を受けるに違いない。

(「新しい文体の舞台」より)

この指摘を現代に重ねてみれば、テレビはYouTubeに映し見ることもできますが、週刊誌文化は2023年現在、どのような進路をとっていくか判然としないところです。新しいメディアという点では、SNSは当然その舞台候補に挙げられるでしょう。外山氏は翻訳に関する名言も残しているので参考に下記しておきます。

翻訳文体はときとして、新しい文体の創造に結びつくこともある。

訳文が一個の芸術になっていなくては名訳とは呼べないはずであろう。原文を忘れさせる。その点において、名訳は反逆的である。そういう反逆訳があってもいい。

原文忠実がしばしば欠陥日本語の言いわけになっている。原文忠実か、日本語らしい文章か、という二者択一をせまられたら、訳者はためらうことなく、日本語をとってもらいたい。

科学に関する翻訳というと、例えば江戸後期から明治期にかけての科学用語の訳出や、朝永振一郎によるディラックの翻訳背景なども考え及びますが、ここでは話が少し逸脱しますので別途まとめることにします。

さて、外山氏は作家の吉田健一とも交流があったのですが、その吉田氏について

吉田さんはすばらしく英語ができた。その外国語が日本語と微妙にからみ合っていたのではあるまいか。吉田さんのスタイルはつねに緊張した意識の綱の上を歩んでいたのではなかったのか。その独特な文章が高く評価されるようになってからも、釣り合いを求める緊張は解けることはなかったのではあるまいか。

と評し、時に銀座の辻留や神保町のランチョンへ誘われた思い出に触れています。この回想文にある「外国語が日本語と微妙にからみ合って」という箇所について、連想される話があるので言及しておきます。

それは以前の備忘録で取り上げた、明治期に勃興したローマ字国字論に関するものです。田中館愛橘によって日本式ローマ字運動が興り、科学者の間でも随筆や教科書をローマ字で著す人たちが増え、例えば寅彦先生も教科書『海の物理学(Umi no Buturigaku)』をはじめ、子ども向けの科学随筆などをローマ字作品として残しました。当備忘録でもいくつか紹介していますが(母音論太陽黒点雨の音)、第14号第17号でもローマ字論を推進した田丸卓郎や田中館愛橘のローマ字作品(ただし邦字起こし文)を取り上げていますので興味のある方は是非のぞいてみてください。

こうした運動は、そもそもが国語国字問題に由来するもので、一つには漢字の不便さを主張し、極端な例では漢字全廃論が出されたという背景があります。この国字問題は文体を創造する言文一致運動を端緒に、戦後は上に書いたような口語文の確立へと関心が深まっていきました。今後、日本で再燃するかどうかは分かりませんが、私たちがどこまで漢字と付き合っていくかという問題と関わるもので、大いに議論する余地がありそうです。

現在、私たちは文章を書くとき、その多くはキーボードを打ったり、スマホやタブレットでタイプする、といった方法をとっています。もちろん手書きにこだわっている方もいると思いますが、現代ではタイプする機会が日常化していることに目を向ければ、キーボードのローマ字で言葉を打ち、漢字変換するという一連の動作は、文体にまったく影響がないとは言えないでしょう。これと似たように、文体への試みとしてローマ字を使っていた文人に石川啄木がいます。啄木が残したローマ字日記には、その実験的創作の跡がうかがえます。ローマ字表記は横書きであると同時に、欧米語のアルファベット表記とも親和性がよく、漢字を知らない外国人や、電信などの通信でも利便性があります。

他方、ローマ字文を読んでみていただくと、私たちが日頃いかに表意文字としての漢字に依存しているかが理解できます。例えば、冒頭で触れた島内裕子先生は、現代語訳されたご著書の『徒然草』(ちくま学芸文庫)において漢字を交えて原文表記することで、判読しやすくなる利点を強調されています。これはひとえに、言語形態学でいう孤立語(一つ一つの漢字が独立した音と意味をもつ言語)としての漢語(中国語)のもつ特異性によるものでしょう。ちなみに日本語は「テニヲハ」を必要とする膠着(こうちゃく)語であり、ヨーロッパ言語は名詞や形容詞、動詞の格変化を必要とする屈折語です。日本人の思索に適した言語形態の鍵を握るのは、現在の膠着語としての口語文であり続けるのか、それとも別の形態がよいのか、上で挙げた話題以外にも、様々な議論があって然るべきかもしれません(例えば志賀直哉は戦後、日本の国語に仏語を採用することを提案した例があります)。

○科学的思考に合う文体

少々触れておきたいのは、現在の日本の口語文では、漢詩や仏文詩、英文詩に見られるような韻を表現する的確な様式がありません。擬態語や擬声語のようなオノマトペなどの音韻を表すことはできても、諸外国のような詩形式で構造的に表現できる明確な形態はないのが現状と思われます。漢詩を読み下したり、仏文詩を訳せば、原文のもつ美しい韻の構成は無くなります。先に、寅彦先生がルクレチウスを英訳で読んでいた話を書きましたが、原文のラテン語でなくとも同じ屈折語の英語であれば、原詩のもつ韻の響きや詩の構造は、少なくとも和訳よりは伝わるのではないかと思います。とくに科学的思索の型を学ぶ上では、原文ないし同類の言語を通したほうが、その精髄を吸収しやすいのではないでしょうか。これは、科学的思考との親和性という意味でも、口語文の未熟な日本語より、科学の土着言語である屈折語のほうが、文体としての相性はよいのではないかという筆者の考えであり、上に書いたことの理由になります。

さて、科学随筆から始まった文章論は、漢語や口語文の話を経て翻訳文やローマ字論まで来てしまいました。冒頭に戻りますが、科学随筆の質を決定づけるのは、湯川先生や寅彦先生の指摘のとおり、科学者が自身の会得した思想をいかに簡明に叙述できるかにかかっていると思います。もちろん、ロゲルギスト集団のように多数の科学者が一堂に集結して、対話形式や実演形式で科学の不思議や魅力を談論風発的に伝えていく世界も、科学随想という観点から大切です。

果たして未来の日本人は今とはまったく異なる言語形態を選ぶことになるのか、もしくは今とあまり変わらない形で続いていくのか、それともローマ字とのハイブリッド型のような文体になるのか、様々な試みによる作品が文理問わず登場することも期待します。

 

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