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朝永振一郎からの宿題――「光子の裁判」から『ファウスト』「鳥獣戯画」へ

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朝永振一郎からの宿題――「光子の裁判」から『ファウスト』「鳥獣戯画」へ

第22号では小沼通二先生に「朝永振一郎・ゲーテ・「科学にひそむ原罪」」と題した論考をご執筆いただきました。これは、朝永先生が晩年を中心に唱えた科学原罪論のルーツと展開をまとめられたもので、どのようなプロセスを経てこうした思想に結実したかがよく理解できる内容になっています。

小誌では朝永先生に関するエッセイを折にふれて取り上げてまいりましたが、それには大きな理由があります。朝永先生が生前に残された作品の幾つかには、後世の私たちへの宿題ともいえるメッセージがあるからです。今回の小沼先生の記事内容はその最たるものになりますが、では他に何があるかを本稿では見ていきたいと思います。

朝永先生が書かれた作品の中で、主に象徴的なものを挙げると以下の3つに絞られるかと思われます。

1.「光子の裁判―ある日の夢」
2.「暗い日の感想」「科学と文明」(『ファウスト』を軸にして)
3.「鳥獣戯画」

とくに2は最後の著作となった『物理学とは何だろうか』(岩波新書)に集約されるものですが、ここでは小沼先生が挙げられた上の代表的作品に基づきたいと思います。とくに「暗い日の感想」は、朝永先生がご自身の若かりし頃を振り返りつつ、未来を見据えた予言集ともいえる示唆的な随筆で、物理の研究者を志す方には一読をおすすめします。

では、この3つに共通していることは何かを考えたときに浮かび上がってくるのが、朝永先生と親交され、小誌の表紙画を掲載させて頂いている戸田盛和先生の以下の言葉がヒントになります。

先生のすぐれた話術にはいつも何か魔術のようなところがあった。少数の材料に注目して、完璧な配置を与え、その間のつながりを発見して思いがけない美しいまとまり、あるいは面白さのある世界を出現させるのである。その場その場で最も適宜な道をすらすらと見出す先生の才能はいたるところで発揮された。
 錯綜した会議において妥協点を導き出し、結論を引き出すのも、先生にとっては「鳥獣戯画」の絵巻物に物語りを見出すのと似たような働きであったかも知れない。

(『朝永振一郎著作集・別巻1 学問をする姿勢』「解説」より)

この文中にある「絵巻物に物語りを見出すのと似たような働きであったかも知れない」という言葉こそ、上の3つに通底しているものではないかと考えます。例えば、この文中にある「完璧な配置」「つながりを発見」「美しいまとまり」「面白さのある世界」「最も適宜な道」といった言葉は、傑作「光子の裁判」でもいかんなく発揮された手腕であり、後年の名作「鳥獣戯画」に至っては、戸田先生は「寺田寅彦先生の「団栗」以来のすばらしい文章」であると評しています。

そこで、この3つの代表的な仕事から、後世に託された宿題をそれぞれ導き出してみましょう。

1の「光子の裁判」は日本で唯一といってよい秀逸な思考実験の例でもあります。『寺田寅彦『物理学序説』を読む』における細谷暁夫先生と千葉俊二先生の対談をご覧いただくと分かりますが、日本人は思考実験があまり得意でない傾向があります。その例として、細谷先生がアインシュタインの話を挙げてその理由を解説しておられるとおり、これは後述する日本の歴史的背景も関係していることです。が、言い換えれば、日本人の科学性というものを根本的に問い直すには、この「光子の裁判」は非常に良い例題になるのではないかと思います。

思考実験では、推論を進める上でインプットとアウトプットを一つ一つ検証しながら、操作的に構成していく力が問われます。言うなれば数学者のような全体を見通せる思考です。これはある意味で、背理法のような数学で定理を証明するような能力に近いのではないか、ということを、朝永先生ご自身が以下のように書かれています。

数学者にきくと、数学の仕事は、一つ一つの定理の証明などはむしろあとからでっち上げるもので、実際は結論がまっさきに直感的にかぎつけられ、次にそこへ至るいくつかの飛び石が心に浮んできて、最後にそれを論理的につなぐ作業が行なわれるということである。数学を勉強してほんとにわかったという気もちは、おそらくその数学が作られたときの数学者の心理に少しでも近づかないと起り得ないのであろうか。一つ一つの証明がわかったということは、ちょうど映画のフィルムの一こま一こまを一つずつ見るようなもので、それでは映画のすじは何もわからない、そんなものではなかろうか。
(中略)
 こういう話をある数学者にきいたことがある。いろいろの長さの金属の棒をナットでつないで組合せ、いろいろなものを構成するおもちゃがある。その数学者は子どものときそのおもちゃが大すきであったが、現在数学をやっているときの気もちは、子どものときそれでいろいろなものを組上げたときの気もちに似ている。つまり彼にとっては、抽象的な論理の組上げが金属の棒の構成物のように目に見えるものなのであろうか。だからこそ全体が始めから見通され、それを作り上げるのに、この棒をここに、あの棒をあそこにと組合わせていけばよいというように構成の段取どりがまざまざと心に浮ぶのであろうか。

(「数学がわかるというのはどういうことであるか」より)

これを読んでいると、まるで漢詩の創作や連句の歌仙を巻いているような雰囲気にも感じますが、このような見通しのきいた思考を見事に作品化したものが「光子の裁判」です。全体を見通しながら段取りを進めていくような操作的手法がみられるのは、物理では熱力学が挙げられますが、上で挙げた朝永先生の『物理学とは何だろうか』には熱力学の歴史が特に分かりやすく述べられていることも等閑視できません。「光子の裁判」は日本における思考実験の良い例として、後世への一つの宿題になるのではないかと思います。(以前、数学をする脳と文学をする脳は食い合せの関係になっているという話を紹介しましたが、文理の壁をひもとく上でも一つの鍵となる話かもしれません。→関連記事

また、この「光子の裁判」には現代の量子情報科学研究に繋がる弱値問題や、2022年のノーベル物理学賞の受賞テーマともなった量子エンタングルメントの問題なども潜んでおり、細かい部分で再検証することが重要なテーマになっています。そういった意味での宿題でもあるでしょう。

次に2の「暗い日の感想」と「科学と文明」は今回の小沼先生の論説にある科学原罪論につながるもので、朝永先生はゲーテの『ファウスト』を軸に読み解きをしましたが、細かく分けると以下の問題が伏在していると思われます。

A.科学と倫理
B.科学と制度
C.科学と宗教 

Aは小沼先生に紹介して頂いたとおり、朝永先生が心血を注がれた平和問題や軍事研究問題が挙げられます。Bは科学者が職業として科学研究をしていくためには当然重要な問題であると同時に、そうした研究者を育成する大学組織の問題や社会体制にも繋がります。Cは先にも言及しましたが、日本人の科学性とも関係する問題で、とくに科学が生まれ、育まれた西洋におけるキリスト教や周辺地域の諸宗教との関係が看取されます。以前、これに関連したテーマを取り上げた際の以下の朝永先生の文章にもその一端がうかがえます。

西洋に追いつこうという時に、その考えをとるのはごく自然なことですが、和魂洋才という考え方で、西洋人の科学は魂とは別なものだという。いろいろと役に立つ機械を作るとか考えだすのはむこうのまねをしよう、魂は日本の魂でいこうという考え方は、間違っているとは必ずしも言えないのですが、西洋に魂はなかったかというと、その洋才の背後には魂があったという理解をもって、科学を進めて来た人がないことはなかったと思うのですが、力が弱かったのでしょう。幕末の志筑忠雄がニュートンを理解しようとしたのは、洋才だけではなく、それを作りあげたむこうの人の魂まで理解しようと骨を折ったので、その点、他の科学者と非常に違う面があったのじゃないかと思います。

(「物理学あれやこれや」より)

しかし、魂というのを、哲学とか倫理とかにたとえれば、魂の方にも学ぶことがある。魂の中には、科学を進めていくうえで必要なものがある。それに日本人は気がつかなかった。ヨーロッパの科学者には、しっかりした基本的な考え方があります。

(「インタヴュー 科学とこころ」より)

この文中にある志筑忠雄が理解しようとした「むこうの人の魂」とは、科学の源流とも繋がる哲学的背景もさることながら、宗教的背景への理解も関係することではないでしょうか。文化(culture)の語源はカルト(cult)、つまりcultivate(培養する)の意味があります。その根底に触れるカルト問題を現今の日本社会が突きつけられているだけに、科学と宗教への理解も無視できません。

小沼先生は今回の記事において、朝永先生が指摘した科学の原罪性ということの背景には、「日本には原罪という意識がなかった」という吉川幸次郎氏の意見や「原罪意識の欠如が公害や自然破壊に関係があるのではないか」といった梅原猛氏の言葉を紹介しています。これこそ科学と宗教の関係から派生する根深い問題ですので、これは今後の小誌や当備忘録でも取り上げていこうと考えています。

最後の3つ目の「鳥獣戯画」からはどんな宿題が見えてくるでしょうか。それは戸田先生が評したとおり寺田寅彦とも関わるもので、これは第6号第22号の「随筆遺産発掘」をお読みいただけたら幸いです。細川光洋先生の解説にも同様の指摘がありますが、朝永先生の言葉を下記に引いておきます。

自然の女神というのはただ黙って立っているだけではない。どういうことを質問しようかということを学者が十分考えて、いろいろな状況証拠をそろえた上で、こうでありましょうかと言って自然の女神にうかがうと、聞き方が悪きゃだめなんですけど、上手に聞けば少なくとも、そうだとかそうではないとかいうことは答えてくださる。
(中略)
 私はそういうふうな科学に、物理学者のやってたような科学が少なくともしばらくのあいだ、席を譲ることはありうる、そのことは起りうるし、それはまた必要なんじゃないかと思うんです。

(「科学と文明」より)

この文章は、「鳥獣戯画」に出てくる「そのままにそのままに」という言葉にも通じるものがあり、寺田物理学に代表される地球物理学や複雑系科学の研究を、これからの物理研究の中心的テーマとして推奨しています。もちろん、こうした身近なありのままの自然を対象とした研究にも、科学の逆説的な側面がいつ問題になるかわからない、という原罪性は常に認識していなければなりません。

ここまで挙げた宿題はそれぞれ稿を改めて論じる必要があるテーマですので、それは別途まとめていければと思いますが、最後に上で紹介した「暗い日の感想」の中にある、予言ともとれる朝永先生の言葉を示しておきます。前段は現在の2020年代へと至る話で、後段はこれからの未来の問題を見事に言い当てています。まさに、後世に託された大きな大きな宿題です。

 もし仮に二つの世界で原子力を兵器に使わない協定ができたとしても(なかなか困難であろうが)、次には熱い戦争・冷い戦争とは別の第三の戦争――経済的闘争が起ると思う。これは恐らく資本主義と社会主義の雌雄を決する激烈な競争になるであろうが、この間に挟まれた狭い国土の日本はどんな役割を担うことか、全く心配なことである。
 勤勉な日本人がどこかの国からエネルギーと資材をもらい、下請工場というとことばは悪いが、その能力に相応しい報酬を得て、その勤勉さを提供して人類に奉仕し、己もつつましく生きて行く境地も、尊いものかもしれない。しかし、こうした生きかたは圧迫やおしつけでなく、公平という原則の上に行なわれるのでなければならない。世界国家というものが出来れば話は別かもしれないが、今の人間がそれほど合理的に、また人類愛に燃えているとはどうも考えられない。平静のときはよいとしても、競争となるとどんなことをやらかすかわからない。人間を信じ得ないのは悲しいが、全く日本の将来は楽観を許さない。

(『自然』1954年8月号より)

 

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